解脱って何? | ライトハウスヨガ Lighthouse YOGA

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Tetsuo 'Cinmaya' Tanaka のブログです。阿佐ヶ谷・高円寺エリアで2008年から公民館のヨガクラスを開催しています。

先週末、今年初回の日曜日レギュラーセッションご参加のみなさんありがとうございます。
畳のお部屋、日だまりの空間。
ゆったりと時間を過ごしていただけていましたらうれしいです。

今週末は17日日曜日、朝10:00~、高円寺北区民集会所にての開催です。

今日は、”解脱”についてちょっとだけ書いてみますね。
解脱、moksha、nirvana、
これっていったいなんなのでしょう?

…下に続きますね。

                 ☆                   ☆


ヨガクラス概要

日曜日朝10:00~11:15 + シェアリングティータイム
ドロップイン制:1レッスン2,000円(4回券:6,000円)

2016年1月は、高円寺北区民集会所にての開催となります。
畳の会場ですのでマットは必須ではありません。
女性の方にはお部屋で着替えていただいています。

1月の日曜日朝ヨガクラスは、

10日、17日、24日の開催です。
※レギュラークラスでは、心身のコンディションをひとりひとり伺いながら、その時の気候や天候にあわせて整え、マインドを静かにし、内観を深めてゆきます。

持ち物、参加方法などはこちらから。

こちらにクラスの様子をUPしました!

お問い合わせ
ybooking@gmail.com

                ☆                    ☆

人間の悩み、不安は、
人は生きるために生まれてきたのにもかかわらず、いつか死ぬ定めとなっているために生じる。
ヨガや仏教では、このようにいわれます。

ところが一方で、私たちは決して消えてしまうことのない永遠不滅の存在です。
私たちはもともと、大きなエネルギー、これは自然や宇宙、神様といわれるときもありますが、そういったものの一部であり、そうしたエネルギーは、カタチや状態が変わったとしても、この世界から消えようがないからです。

これは中学や高校で習う物理なんかでもそう教わります。

私たちは地面から生えてきたトマトを食べる。
私たちが死んだら地面に埋められ、
そこからまたトマトが生えてたわわに実をつける。

Swami Vishnu Devanandajiが、そのように書いていらっしゃったと思いますが、そんなふうにエネルギーは形を変えて存在してゆきます。

ところが人間にはそれぞれ”自分である”という意識があり、
これによって世界、もともとの大きなエネルギーから切り離されているように感じる。

それゆえに、今ある肉体がなくなってしまうと”自分”という存在が無くなってしまうように感じ、例えようもないような不安を覚える。

ところがどっこい、たしかに”自分”といった意識はなくなってしまうかもしれませんが、そのエネルギーは肉体も魂も不滅で、また大きな宇宙のエネルギーにもどって存在しつづける。

…とまあ、
しかし、

…こういったことを理屈で書くのは簡単だし、
そう言われてみればそうだなぁ、と、なんとなく納得もしてしまう。

それでも、もし今、突然に不治の病を宣告されたら、そりゃぁ怖いですよ。
僕なんか、まぁ間違いなく、すっかり取り乱してしまうでしょう。

というのは、
これを頭で観念的に、知識としてわかることは出来ても、
それを体感とか、実感とか、
または空気のようにそのことを自然に感じるとか、そういったことは極めて難しいからです。

こういった状態に至ることを”解脱”というのでしょう。

身体を動かしていると、人間の頭、マインドというのは、つくづく二次元的にしか物事を理解できないのだなぁ、と実感することがあります。

文字でも図形でも、平面に書いてあること、
紙やパソコンの面に映っていることしか、理解できない。

武術や格闘技、他のスポーツやダンスでもそうなのでしょうけれど、
どんなに精巧な連続写真なんかが載っていたとしても、
また、スロー映像でなんども達人の動きを確かめたとしても、
そこから三次元の動きを正確に理解するのは極めて困難です。

しかしながら、ヨガや拳法、ムエタイなんかをやっていると、
思いがけない瞬間に、
なにか、自分からはまったく
力を使わないで、
ある目的を達成できたような実感が沸くことがあります。

宇宙の法則の中に自分の心身がぴったりと合わさったような瞬間。

…まぁ、100回に1回くらいなんですが。

たとえば、こんなふうです。
最初は考えながら一つ一つ、教わったことの要素を組み立てようとやっていく。
でも全然出来なくて、
フラストレーションを抱えながら必死こいて、
だんだんわけがわからなくなっていくんですが、
なぜだかある瞬間、それが起こるのです。

自分が自然や宇宙の一部であることを”体感”できる瞬間。

こういったことは、もしかしたら”解脱”をちょっとだけ観ているのかもしれません。
ほんの一瞬起こる、プチ解脱、いや、マイクロ解脱かナノ解脱なんですが、
なにしろそれは、自分で考えてやっているのではなく、
あるとき、ふっ、と起きる。

自分でやっているのではなく、
おおきななにかに力を与えらている。
そういう瞬間。

ほんの一瞬ですが、自我から解き放たれて宇宙や自然との一体感をかんじるとき。

こういったものを拾い集めていくと、いつか”解脱”に至るのかもしれません。
海辺で砂粒をひとつひとつ集めて富士山をつくるような作業だとは思いますが、
波の音を愉しみながら続けて行きたいです。

今週末も楽しみにお待ちしています。

ybooking@gmail.com

伊豆、川奈ホテルにて。望遠鏡からのぞいた富士山。