午後はいかがお過ごしでしたか?
あの後、僕たちは杉十小のプールで泳ぎ、自転車で帰りました。
夕方、杉並から調布まで自転車をこいでいる間、いつ降ってもおかしくないようなすごい空の色になりましたが、なんとも幸いに雨が降る前に家にたどり着きました。
今月からクリパルヨガのプラクティスへと大きく移行中ですが、毎回、なにかひとつでも持ち帰っていただけるものがありましたら嬉しいなと思っています。
僕の方も、まだついうっかり名字でみなさんを呼んでしまったりしますが、少しづつ少しづつ、トランジッションを楽しんでいきたいです。
クリパルヨガでは、意図、intentionを大切にしなさいと教えられます。
例えば、ヨガの練習を行う時も、ただなんとなくやるのと、意図を持ってやるのでは大きく効果が違ってきます。
この意図というのは、なにか持って構えた大きなものでなくても構いません。
例えば、「ちょっと今週疲れたから体を癒したい」と意図するだけでも、その週疲れた自分を意識の上に置くことが出来ます。
自分の中の「なんとなく」を意図することで、見逃したり流したりしないように心にとめられます。
ところでこの「意図」って、ちょっと面白いところがあると思います。
例えば「肩が凝ったからほぐしたい」と意図すれば、そういうアーサナを行うでしょう。
でも、「あるアーサナをやってみたいから、やってみよう」というような意図も、あるでしょう。
面白そうだから。
気持ち良さそうだから。
誰かに見てもらいたいから。
それは自我(エゴ)です、といわれそうな意図も、ときにはあるかもしれません。
でも、それでも、やってみたら、時にとても豊かで貴重な体験ができた、という場合があるように思います。
難しいアーサナに挑戦しよう、ということではありません。
マインドが体を追いこすと、すぐに無理が生じてしまいます。
ケガをします。
でも、これを自分の過去に置き換えてみると、そういう経験がたくさんあったように感じます。
進学や就職なんかを思い起こしても、始めてみると最初に意図したことと違うことって、よく起きます。
でも、だからといってそれがマイナスだったかと言うと、そうでもなくて、むしろ何かハラに落ちた。腑に落ちたようなところがあったりします。
やっていることは同じなのにまったくちがう別の「意図」をそこで見つけているかもしれません。
あるアーサナの中で「きつすぎず、ゆるみすぎない」「エッジ」にとどまり続けることは、そうしたことを追体験したり、「ハラ」で感じて学んでゆく場所ともいえるように思います。
明日を生きる僕の「意図」はなんでしょう?
かろやかにかんじていけるといいようにおもいます。
次回は27日日曜日、阿佐ヶ谷地域区民センターにての開催です。
会場は4F,第3&4和室です。
楽しみにお待ちしています。
ybooking@gmail.com
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よろしくお願いいたします。
