鷺ノ宮スポーツコミュニティプラザにて、
水曜日20:15~、担当しておりましたアロマヨガクラスは、
本年末をもちまして担当を変わることになりました。
長い間のご参加本当にありがとうございました。
担当したのは2022年からだったと思いますが、
まだ皆様マスクをつけてのご参加だったのを覚えています。
今ではもうコロナのことも忘れられつつありますが、
あの数年以来、ヨガのクラスや練習を取り巻く環境は大きく変化しました。
動画の配信やオンラインが主流となり、
もともとパソコンなどモニター作業の過労で眼精疲労になったことからヨガを始めた私などは、
ついていくのも一苦労となっております。
そうしたことはさておき、
これからは仕事や収入といったところとはやや距離をおいて、
もっとヨガの原点へと戻りたく思っております。
もともとヨガは、旅のお坊さんが行く先々で人々に教え歩いていました。
そうして得た施しで遊行を続けていたんですね。
南インドにいたころ、同じように旅をしている西洋人の友人がおりました。
様々な流派のヨガから創りあげた独自のスタイルでヨガを伝えながら、
インドの町から町へ、村から村へ、ヨガを教え歩いていました。
教室は、ときにはビーチ、ときには広場で。
彼の祖国は、東ヨーロッパの紛争でいまはもうなくなってしまった国でした。
厚紙一枚の、破れそうなパスポートを見せてもらったことがありますが、
私たちが持っている日本のそれと比べると、
彼が過ごしてきた日常が想起され、
胸が詰まるような気がしました。
気ままな海外旅行と、もう帰る場所がないことは、
同じ場所と時間を共有していてもまったく違う境遇だったと思います。
ヨガとは自己を識るための方法論だと思います。
それは宇宙そのものであるというのが答えなんですが、そのことは知識にすぎません。
身体を動かし、
感覚を頼りに内側を探りながら、
また心の動きに意識を向けながら、
それらに客観的になることを練習し、
丹念に自己を探求してゆきます。
このことに意識があるとプラクティスは無限に拡がり、
なにかスポーツをやっていても、
仕事や家事をしているときも、育児や介護も、
日常のすべてがヨガの練習となります。
古代インドの人々は町や村に遊行のお坊さんが来るたびに、
それを囲んでサンガ(sangha)と呼ばれる集まりを持ち、
自己探求の体験をシェアしました。
しばらくするとお坊さんはまた遊行へと旅立ちます。
なぜ遊行なのかといえば、
定住してしまうとそこに生じるしがらみから自由でなくなってしまうからです。
とはいえ私が担当を外れるのはそういったことではまったくなく、
反対に世のしがらみ故な気も致しますが、
私なりにヨガの原点を探してゆきたく思います。
具体的なことが見えてきましたらまた皆様にご報告させていただきますので、
今後ともひきつづきよろしくお願いいたします。
ニューヨーク州、Sivananda Yoga Ranchにて。
