イエス・キリストが神とは 愛 である

と喩えと共に語りました

愛 の対極にあるものが 恐怖 です


餓えや肉体の痛み、心の痛み 

痛み に対する 恐怖が存在します


言葉や視線、威圧など様々な手段で精神

や肉体へ損傷を与えます


その背後にあるのは 自分の意図に従わ

せる という思いです

それらは結果として 思考力を奪います


恐怖を与えるということは 思考する持久力 

を相手から奪うということではないでしょうか


様々な闘争を終える…


とても不可能に思える重荷を軽くするには

そのような理解と共に進んで行くしかありま

せん


まず自分の中からそのような要素を探り

手放す

そのような歩みの中から 神 への理解が

もたらされるのではないでしょうか












何故私たちは神と表現される存在を求める

のでしょうか


それは渇くからです。


喩えではなく 本当に渇く のです。


ですから、その渇きから逃れる為に走り廻って

しまうのです。

走り廻りますます渇く、塩水を飲んだかのよう

に。。。


物や他者に依存すると 益々欲してしまいます。

そして自分の部屋と心の中を占領してしまいま

す。


その渇きから開放される方法は

創造主である神から流れでるものを受け取る

必要があります。

愛や歓びや美しきもの その背後にある息吹

に身を浸すことにより 日々再生されるのです。


意識の深いところで それを知っているから、

神を求めるのではないでしようか。






叩けよ、 さらば開かれん


求めよ、 さらば与えられん


真理の言葉です。ご存知の方は多いと思い

ます


でも

与えられていないし、開かれもしない…

と感じる方も多いと思います


隣人のドアはノックで招き入れてくれるかも知れ

ませんが、創造主はそうではないかも知れませ

ん。

隣人へは旅行の手土産で済むかもしれません

が、創造主へは差し出すモノが違う筈。

ちっぽけな視野や心で大きな包み紙を差し出し

てもそこに何があると言うのでしょうか。


何十年経ても、ドアは開かないかも知れません。

それでも

求めて止まない心だけが 差し出せるモノなので

はないのでしょうか








とても多くの人が 

注目を得たい 特別な存在でありたい

と望んでいます


その思考や願望が分離を生み 神からも

遠ざかる結果となります

それは 私たちは 個でありながら 全体と

しての一部でもありますから 個 としての

主張が強すぎるとその結果としての反動を

受けることになります

創造主の表現の一部 バリエーションを生む為

個 として捉えるということは

個人の可能性を限定することではありません。


個 として満ち足りた状態でありながら

全体の一部としても満足できる状態へ至る為

には


個人として努力する という生活の中でしか

見出せません


心を砕き生きる中から 小さな事を大切にする

日々の中から 整ってくるのではないのでしょう


オリンピック競技で しばしば目にする光景です

が金メダルを手にすることが出来なかった選手が

「私は全力を尽くしました 金を手にする事は

出来なかったけれど満足です」

その言葉の陰にある努力や苦悩の時間を察す

ることが出来ます


誰かを羨望する時、その思いに苦しむ時、

まだ努力する余地が自分にはある と思い直し

てみることが救いとなるのではないでしょうか













一つの出来事には共通する真理や学びが含ま

れています。

体験の中からそれらを見出し人生に役立てて行

く事により成長します。


震災からの復興-気力を無くしてしまいそうな

瓦礫の山も一つ一つ減らしていくことにより

新たな出発の可能性の道 の準備がなされて

いますが

希望、支え合う心、忍耐という力を社会と個人

が蓄えているという見方も出来ると思います。


個人の問題に対しても同じ要素が解決へと導き

ます。

抱えている不要な思考やエネルギーは個人差が

ありますが、クリアにしていく事によりその過程の

中で必ず神の存在や恩寵を感じ取れるように

なって行きます。


セオリーを超えた存在-神の認識へのドアは

手元に有ります。



コインを投じた際 

いつも表面が上にくるとは 限らないということを


神や高次元の存在との出会いを求める際も

考慮に入れる必要があります



赤ずきんの童話、

狼はおばあさんの衣装を身につけ、声色を変え

て騙そうとします


以前知り合った方のお話です

その方はスピリチュアルなお仕事をされ10年位

のキャリアがあります

夜中、金縛りにあい 儀式をしなさいと言われ

翌日 その通りにしたら 空間に顔が出現し 
依頼 時々出現し いろいろな事を語りかけて

くるようになった いろんなことを教えてくれる、

と話して下さいました


出現した顔が あるマスターと呼ばれている存在

にそっくりだと その存在を信じ込んでいました


何度かご一緒させていただく中で 私はとても

違和感を感じました

それに

私の体験から 高次元の存在は自分で姿を

顕すことが可能ですので

儀式を要求するようなことはしない筈であろうと


空間には 様々な目に見えない周波数や波動、

エネルギーが満ちています


安易にコンタクトを試みるということには

リスクが伴います


一言では 表現しきれない 多くのことがありま






奇跡を求め続ける心は


叶っても 叶っていなくても


乾きに耐えかねて 塩水を飲んだ後のように

更なる渇きをもたらします


奇跡は感動をもたらすこともまた確かですが

その背後には そのことと同等の苦悩や試練

があります


イエス・キリストの死後の復活 

自分自身の運命を予め知っていたとしても

恐怖心はとてもあったと思います


どうして奇跡がこんなにももてはやされるの

でしょうか


生きるということは 自分自身に対しての

チャレンジです

天才は99%の努力と1%の才能 という表現は

奇跡は99%の努力と1%の贈り物 とも言える

と思います

楽をして手にすることと 奇跡を混同している

人もまた多く そのような状況で奇跡が起こる

と依存症となってしまいます


私は最初

大変さを少し軽くしないと、余裕が持てないと

様々な事に気づけないのでないか なんとか

先へ進んで欲しいという思いで、どんな方でも

受けられるような料金でエネルギーワークを

させていただきました


その結果として

こんなに手軽にいろんな事が叶うのは

ラッキー と感じてしまう方が多く、今度は

これをして下さい ということになってしまい

ました


そんな中でお二人の方が理解して下さいまし


日々の仕事や生活の中に大変さはまだある

けれども その中で楽しさもまた感じられ

それが生きているということですね 


日々の中の雑事と共に束の間の楽しさを

感じる 心のゆとりや確信が 

人生に大いなる変化や成長をもたらします


人生の波が静まり 様々なことに対して

自分自身で対処できて行きます

そして それこそが 

奇跡 ではないでしょうか





私たちは多くの疑念を抱いています


他の人に対して そして自分自身に対しても


その中でも厄介なのは


正直者は 損をする


という想念です


いや そうではない 正直者は報われる


その相反する狭間で 揺れ動く心 があります


その根底にあるものは 正当とは思われない

手法で財を得たり 賞賛されている人が随所

に見られるからですが コツコツ頑張ろうする

気力をそらせてしまうことにつながっています


そのような

一見成功していると思われている人が心の中

から幸せを感じているのかまでは はっきりと

知ることは出来ません


人から賞賛されることは すばらしいことのよう

に思われがちですが

自分もまたそのようになりたい と抱く

願望の果て にあるものを知らないのでは

ないでしょうか


ホルスの目 と呼ばれているモチーフがありま

真実を表現している目であり それは一つの目

として象徴されています


右脳と左脳 右目と左目

相反する領域 揺れ動く心 のバランスをとる

には 宇宙の摂理を見る目 感じ取る心目

が必要です


叡智と呼ばれているものは ホルスの目 の

ように象徴化されて伝えられてきています















 



苦しみの無い世界

平安


それらはどのようにして齎されるのか


苦しみから逃れる為に走り廻り 疲れ果て

さらなる嘆きが生じることの輪から

 

        開放されるのか


今までのブログ内容と重複する箇所は出て

来ると思いますが

私なりに探求してきたことを綴ってみたいと

思います


個々人の悩みや状況は様々です


世界中にある沢山の宗教や哲学もその悩み

に対しての答えという部分を担っていたと思い

ます


何かの選択に対しての決断をする際必要とされ

るのは正確な状況判断ですが

社会の急激な変化の波に従来の手法では対応

が困難であったり 価値観の多様性が 

個人と社会へ問いを投げかけていると思います


知性とは記憶することとは違います


書物の記述を記憶し知っているように感じて

しまう

自分自身の体験だけで断定する


そんな足踏み状態からの開放は

自分自身を探求していく中からしか生じません


自分自身を客観的に把握するという困難さと

直面し 向き合う中から 


自我や愛ならざるものが削ぎ落とされ

閉ざされていた部分が開放されて行きます

その積み重ねが 創造主との接点をもたらしま


それが安全で確かな方法なのです






地震からの復興に向けて

国内や世界中から様々な援助が寄せられてい

す。


被災されている方々が傷みを超えて非難場所

で助け合う姿に多くの方が声援を送っていらっ

しゃる事と思います。


困難な時、心がくじけそうな時に支えとなるのが

励ましの言葉です。


日本人の持つ粘り強さ無くしては長期化するこ

の事態を乗り越えることは出来ません。


風評と同じように不安な波動もまた広がりを持

ますので、一人一人が心を落ち着かせること

大切です。


日本経済の影響が海外へも出てきていますが、

恐れの波動を沈め復興に向けて全力を出せる

よう意識を向けていくことが私達全員が出来る

ことではないでしょうか。


災害時に光を送る瞑想をライトワーカーと呼ば

れる人達が行ってきましたが、全体で行うこと

がより多くの成果となると思います。


意識はどちらか強い方へと向かいますので、

不安な方へと向けないように保つことが大切

です。