光と共に歩くということ | アイイス講師&ミディアム開堂慈寛のブログ

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そら

 

 

7月28日に行なわれたサンデーサービスの中で、開堂ミディアムが行なったサーモンお伝えします。雰囲気をお伝えするために、そのとき話された言葉のままの部分があります。また、読みやすくし、分りやすくするために、後から多少の編集が行なわれました。

 

 「私達は時々、道に迷う時があります。しかしながら、基本的に私達は守られています。私達は、ある目的に向かって進んでいます。その道から脱線しないように、怪我や病気あるいは批評、批判など、いろんなことから私達は守られています。なぜなら、私達には大切な目的があるからです。その目的に向かって私達は守られながら生きています。

 

                     ねこ

 

 しかし、時々、私達は選択を迫られる時があります。そんな時、何を基準に私達は選択するのでしょうか?それは、それが光の道であるかどうかです。光の道でない道(選択肢)は暗く見える筈です。そのためには、私達はふだんから暗闇と光を見分ける判断力を養っていかなくてはいけません。その判断力を失うと、間違った道、つまり光の道ではない道を選んでしまうことになります。

 

 光の道を選ばなかった場合、そこには苦労、苦難、あるいは、暗闇が待ち受けていることになり、多くの場合、行き止まりになります。先に進めなくなります。進もうと思っても道は徐々に細くなり、光の世界からの援助を受けられない道になってしまいます。暗闇の中を迷い続ける、そういう人生を送ることになりますし、エネルギーをたくさん受けることが出来ないので、人生が細くなってしまいます。喜びや楽しみや生きがい、やりがいなど、徐々に無くなっていってしまいます。

 

 それでも、神様は私達に途中で引き返すこと、あるいは、光の道が少し遠回りになるかもしれませんが、再び光の道を歩き始める、そういう選択肢を用意してくれています。暗闇の道を歩いて来た人には、光の道は前より、はっきり見える筈です。そういう道を再び与えられた時は、間違いなく明るいほうの道を選んでください。

                       

 それでは、明るいほうの道とはいったいどういう道でしょう?その道の中にも上りや下りはあります。それでも、光の道を歩き始めると、希望というものが見えてきます。希望という光は、消えることはありません。生き甲斐と言ってもいいでしょうし、モチベーションと言ってもいいです。

 

                      薄紫色の水連

 

 心がどんなに苦しくても、明るく生きていけます。光は強いものです。特に永遠の光は強いです。消えることは絶対にありません。どんなに苦しくても悲しくても、心の底に永遠の泉のように湧き出て来るものです。

 

 それを探し求め、それを信じ、未来を見つめると、光の道を見失うということはあり得ません。光の先に神様が待っているからです。その神様と再会すること、神様と一緒になることを夢見、心に焼き付けて歩いていれば、谷も山も、すべてのものを乗り切ることが出来ますし、少しずつ光の奉仕人としての仕事も増えてきて、生き甲斐を見つけ、それがエネルギーとなり、それが背中を押してくれ、そしてまた、光の世界とのコラボレーションと絆を確認しながら、生きていけるようになり、それが、あなたの元気の源となり、力となり、人生を明るく楽しく、あなたをずっと、この先も導いてくれることになります。

 

 光の世界と共に歩くと、いろんなもの、いろんな所に光が見えてきます。大自然の中、空の中、そして、生活のあらゆる部分に、光の世界から差し伸べられている光の手を感じることが出来るようになります。そして、光の世界からの協力を感じ、共に光の道を歩いているという、その自覚が、あなたを最後まで導いてくれることになります。」

 

                     赤しろピンク

 

 次の開堂ミディアムによる霊界通信のデモンストレーションは、8月11日のサマー・フェスティバルの中で行われます。

 

 また、メールリーディング、遠隔ヒーリングも受け付けております。
 

 詳細は開堂慈寛のサイトまで!