「オデュッセイア」には、たくさんの神々が登場し、主人公オデュッセウスも彼らに翻弄され続けます。
映画の中で何度も出てくる「ゼウスの掟(Zeus’s Law)」は、古代ギリシャの風習であるクセニアで「見知らぬ者がやってきたら、歓待しなくてはならない」というもの。
神話では、たびたび、神が人間のふりをして訪ねることがあるんですね。そのときに「みすぼらしい老人」とあざけり、追い出すのか、親切に「食事をどうぞ」ともてなすのか、相手に対する態度が問われます。
ゼウスは木星の象徴で、これには「保護・恩恵・寛大さ」が含まれます。
見知らぬ人であっても、縁が合ってやってきたならば、その関係を神聖なものとみなして、保護し、恩恵をもたらすものだというのが、ゼウスの掟。
これは相互に働くものなので、受け取るほうも主人を尊重して、勝手に荒らしたり、侵害してはならず、礼儀を守って、慎ましく振舞うことが求められます。
木星は「正義・道徳・法」でもあり、それらもひっくるめた「木星的なふるまい」こそが「ゼウスの掟(クセニア)」といえるかもしれません。
ゼウスのもたらす保護の力を、自身も同様に発揮することですから、それにそぐわない行いをすると、ゼウスの怒りを買うことになります。
「美女と野獣」でも、お城を訪ねてきた、みすぼらしい老婆を王子が邪険にしたことで、野獣に変身する呪いがかけられましたが、あれも「ゼウスの掟に背いたから」といえますね。
「オデュッセイア」は全編を通して、クセニアの物語すなわち木星の物語ですね。
トロイア戦争のきっかけは、三女神の争いの賄賂を受け取ったパレス王子ですが、別の見方をしたら「客人なのに、主人の家の女性を略奪した」というクセニアに反する行為をしたわけです。
オデュッセウスの留守中、イタケの城に居座る求婚者たちは、城主の妻や息子に対し、礼節をわきまえず、横暴にふるまいます。
オデュッセウスの帰還の旅も、クセニアを求めるけれど得られない……ということの連続ですが、それはオデュッセウス自身が、自らの行いに正義と道徳心に欠けていたからではないかと悩み続けます。
そんな感じで、つくづく、木星の思いやりや温かさ、寛大さ、正義、道徳について、考えさせられる映画なんですね。
私が子どもの頃は景気がとてもよくて、木星優位の社会だったなと思います。大人たちは寛大で、どこへ行っても、知らない人から親切にしてもらいました。
それに引き換え、昨今は社会も自分自身も「やさしくないな」と感じます。
「袖振り合うも他生の縁」ですから、私もクセニアを大事していきたいと思います。
