満ち欠けする月と、ふたりの母親 | ***Walk on the light side

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銀河に煌く星たちのように

こないだ月の品位と、月の持つムラについて書きましたが、月が満ち欠けしている限り、すべての月にはムラがあるといえます。

 

ある星座に位置する月が満ちているとき、その星座の質がより強く表れ、欠けていくときは、向かいの星座の質がより色濃く表れるでしょう。

 

蟹座の月を例にして「普段は面倒見がよくて、やさしく、世話を焼くけれど、あるとき急に『もうやだ。何もしたくない』と自室に引きこもる」と書きました。

 

この「何もしたくない」という「月が欠けている」とき、向かいの山羊座の性質である「冷たくドライで、拒絶するように何者も寄せ付けず、孤高を貫く」という態度を表すでしょう。

 

逆に山羊座の月であれば日常的に、静かで控えめで、ひとりでひっそりと過ごすことを好み、淡々と自分のペースで仕事や家事をして、感情をあまり表現しないでしょう。

 

それが時々、人のいるところへ出ていって、交わり、人をフォローしたり、みんなが作業しやすいように整えたり、熱心に教えたり、みんなが心地よくいられるようにあれこれ計画して手配するなど、世話を焼く蟹座の質を発揮します。

 

 

そのような、ふたつの側面を行ったり来たりするのが月の特徴で、そこに繰り返されるパターンがあるのですが、これはまた、私たちが母親に対して同時に抱く異なるイメージを表してもいます。

母は月に象徴されるため、すべての母親は蟹座そして山羊座のイメージを含んでいるのですが、それはすなわち「母親とは、やさしくて、世話焼きで、寄り添ってくれて、愛着を感じさせる一方で、冷たく拒絶し、否定することで、不安と混乱を感じさせる存在」だということです。

 

人によって「より甘くて世話焼きの雰囲気が強くなる母」と「よりクールでドライな面が強い母」がいるかと思いますが、どんなに恐ろしい母でも、一抹のやさしさはあるでしょうし、どんなに思いやりのある母でも不安を感じさせるときがあるでしょう。

 

もしなかったとしたら、それはよほど自身の感情を自然の流れから切り離さざるをえなかった、土星的な状況に身を置いている母といえます。

 

自分の母親のやさしくスイートな一面と、おそろしく拒絶する一面とが、どんなときにどう表れるのかを思い返してみると、そこから、自分自身の月のパターンが見えてくるかもしれません。

 

それはまた、自分の月が持っているふたつの側面を表しています。愛と拒絶。やさしさと繊細さ。おおらかさとコントロール欲。

 

繰り返しやってくる、自分自身の「感じのいいとき」と「悪いとき」とそのパターン。

 

好むと好まざると、私たちはそこから自分と母とのつながりを感じ、そしてそこから自然全体へと回帰するのでしょう。

 

母との関係において感じてきた感情をまた、私たちは毎日親しい人との関係の中で繰り返し感じたり、感じさせたりしているわけです。