太陽のもたらす自分という感覚と社会性 | ***Walk on the light side

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銀河に煌く星たちのように

チャートの太陽の配置は、個人が「自分である」と認知する感覚と関わっています。

 

何をもって自分が自分であるのか…という個性や特徴を示すでしょう。

 

そしてまた私たちが「これが自分である」「自分らしい」と自己認識するための装置でもあります。

 

幼児期は個人の内側で自我の構造が確立されていないため、自分と世界との境目があいまいです。自分が見ているように世界から見られているのだと感じ、周囲の人の反応が自分のすべてとして感じます。

 

母親に大事にされると「自分は大事にされる存在だ」と認知するし、母から邪険にされると「自分は大切にされる価値のない存在だ」と認識します。

 

相手の反応によって自分を認知する、この時期は「自分と他とが分かれていない」のですね。

 

成長して体感覚を通して外と内との境界がはっきりしてくると、その感覚から自分を強く感じるようになっていきます。

 

「私がこう感じている」「私の考えや思い」「私の感情」「こんな風に自分を表現したい」といったとき、この主語となる「私」という自己を認識する感覚こそが太陽がもたらすものであり、自分を表現し、内外を感じて体験する機能といえるでしょう。

 

太陽を通して、私たちが自分自身をより深く認知すればするほど、自身の内にあるさまざまな側面を理解して、受け入れるほど、それは自分を成熟させて統合するための器ともなります。

 

ポケモンが進化して、さまざまな能力が増えていき、姿もより立派になっていくように、私たちもまた自身の内にある能力を自分のモノにしながら、進化していきますね。その器であり、主体となっている「私」が太陽といえるかと思います。

 

 

そういう意味で太陽は固着化されたキャラクターというよりも、進化して変わっていくもの。

 

決して「こういう人」と何かひとつの側面だけを固定することはできませんが、その有しているさまざまな能力は、とても自然に扱うことのできるものですから、社会と関わり、仕事をしていくときには、自分が太陽としていられる環境で働くと、のびのびと充足感を高めながら、パワフルに活躍できるでしょう。

 

風の時代の提唱する「個性の時代」というのは、まさにこういうことですよね。

 

私たちには月と土星による適応能力が備わっているので、どこの環境においても求められた役割に適応することができます。しかしそれは時に自身の能力を「制限すること」でもありますね。

 

たとえば毎日くり返し書類を間違えないように入力することが仕事だとすると、乙女座的な能力…正確さ、繊細さ、事務処理能力といったものは鍛えられるでしょう。しかし、その人の自由な創造性や社交力、芸術的センスや身体能力、リーダーシップといった他の能力は、その仕事に従事している限り、制限されることになるかもしれません。

 

私たちの内側にはたくさんの資質があり、実際に社会と関わる時間は短くありません。
 

社会と関わっているあいだにも、能力が充分に引き出されて、成熟していくことが、個人の充足や成長をもたらしてくれるでしょう。

 

そのカギがチャートの太陽にあるということですね。