奴隷か、奉仕か、6ハウスについて | ***Walk on the light side

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銀河に煌く星たちのように

先日は6ハウスでの蠍座の新月でしたが、ここは労働と奉仕、修業そして奴隷の部屋となります。相反するような意味が含まれていますが、基本的にここは健やかな日常を保つための日々の仕事と、その実際的な手順や作法を表します。

 

これは現実レベルにおいて暮らしを支えるための日々の雑務で、掃除したり、片付けしたり、炊事洗濯といった家事全般、入浴、歯磨き、睡眠といった健康管理も含まれるでしょう。

 

自然にまかせて放っておいたら、綻んでしまうもの、弱ってしまうもの、傷んでしまうものを、人間の知恵と技術に­よって美しくびしっと洗練された状態を保とうとするわけですね。

 

丁寧にお手入れしながら使うことで経年劣化を防ごうというわけです。物や洋服、家具や住宅、人体、さらには精神などが対象となります。

 

それが個人を超えて社会的な範疇に及ぶと、公共の場を美しく保ちましょう、健全な社会を安定させ続けましょうということになるでしょう。

 

そのような意味での労働が、6ハウスの基本テーマです。


日々の作業を丁寧に繰り返しながら技術に磨きをかけよう、さらに精神の状態を均一に保とう、あるいは向上させようとすると、修行となるでしょう。

 

ぐずぐずとしたメリハリのない精神を整えるために、あるいはピリッとした精神をさらに洗練させて高みへと達せさせるために、さまざまな作法や儀式が繰り返されます。毎朝早朝に起きて、同じ時間をかけて同じ作業を丹念にしたり、お寺や神社で毎朝同じ手順で祈りが捧げられたりですね。

 

 

そこでは個人の好き嫌いや意志は考慮されず、定められた通りに、淡々とこなしていくことがカギとなります。精神の力で自我を超えていく鍛錬ともいえますね。

 

神や仏に捧げられる祈りや、職業人として使命をまっとうする姿を通して、労働は奉仕となるでしょう。対象に自身を捧げ、全身全霊で求めに応えるのです。

 

精神修行としては刑務所の受刑者たちが、プログラムに沿って日々の活動が定められているものも、これに当たりますね。スパルタ校と呼ばれる種類の学校や予備校もそのようにみっちりと定められたカリキュラムを朝から晩までひたすら消化していくことが求められるでしょう。

 

短期で結果を出すことを目的としたダイエットのジムなどもそうかもしれません。これらも修行ですね。

 

そしてそこに参加することに対してそもそもの意志が欠けている場合は奴隷となるでしょう。報酬の有無ではなく、参加意志の有無が「奴隷となるか、修行となるか、奉仕となるか」の違いだということですね。

 

これは5ハウスという自身の輝きと意志の部屋に次ぐ部屋というところからきています。

 

どんなに厳しい修行だろうとも、自分からやると決めたのかどうか。どんなに厳しい学校でも、自分で行くと決めたかどうか。
 

厳しい環境で自身を洗練させていくこと、そのものが自分の意志から生じたものなのか。職業を決定したときに、みずからの意欲で「ここで活躍する」と決めたかどうか。そこに意志があるなら、それは厳しさの果てに奉仕として昇華されるでしょう。

 

しかし意欲や意志のないところで、親に言われたから、先生に勧められたから、選択肢がそれしかなかったから、仕事としてしなきゃいけないから……というときに、私たちは奴隷のような気持ちになります。

 

みずから「やる」のか、「やらされる」のか。

 

6ハウスが充実したものとなるのか、隷属となるのかの違いは、その一点にかかっているといえるでしょう。