8ハウスと裏切られた痛み | ***Walk on the light side

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銀河に煌く星たちのように

先日ザビエ氏の8ハウス研究会で取り上げられたテーマは「裏切り」でした。まさに8ハウスで体験しうる、ど真ん中の痛みを伴うテーマですね。

 

あらゆる人間関係の中に潜んでいる、裏切りの可能性。それは生まれた直後の私たちが必ず体験するものだといえるでしょう。

 

赤ちゃんは自分のニーズを自分で理解できず、満たすこともできず、明確に伝える術もなく、すべてを世話してくれる相手に依存しています。しかし親が完璧に赤ちゃんのニーズを余すところなく受け取って、ベストなタイミングで満たすことはあり得ないため、それは必ず裏切られることになるでしょう。

 

ニーズが理解されず、満たされない……その体験は「愛されていない」という思いにもつながります。しかもそれは一度や二度ではなく何度もくり返されます。

 

私たちの内なる土星は、傷ついた体験に対して補償をもたらすため、それが繰り返されるうちに「親に対する期待をあきらめる」か「満たしてもらうために、まず親のニーズを満たす」か、ということをやり始めます。

 

期待をあきらめることは、他者からの愛を求めないことであり、他者に極力依存しない形で、何事に対しても「大丈夫です!!自分でやれますから」と、きっぱりと独立心の強い自分を創っていくことにつながります。

 

親のニーズを満たす側に入ると、それは親にとってのいい子、先生にとっての優等生、先輩にとって可愛げのある後輩、上司にとって従順な部下、パートナーにとって愛のある相手と、いつも愛を捧げて尽くす存在へとなっていくでしょう。

 

そして、どちらにしても、やっぱり私たちは裏切られることになります。

 

前者であれば「やっぱり他者は信用ならない。何事も信用できるのは自分だけだ」と、ますます孤独に自分を追いやって、どこか世界との関わりのあいだに防御壁を築くかもしれません。

 

後者であれば「こんなに信じて尽くしてきたのに…もう信用できない。関わりたくない。顔も見たくない」と、関係に終止符が打たれ、蜜月は終わり、もう二度と元の関係には戻らないことでしょう。

 

 

そのような人間関係は、愛情と金銭が介在する密接なときに、たびたび起こります。親との関係で体験したものと同じことが、そこでは繰り返される可能性があるのです。

 

お互いのニーズと期待があり、努力があり、誤解や期待はずれな出来事が起こり、がっかりします。修復しようと試みて、何度も頑張ったあげく、やっぱりがっかりするかもしれない。

 

それは自分が心を込めて尽くしているのに、相手が同じようにしてくれなかったり、一番大事な存在にしてもらえなかったり、隠し事をされていたり、他の人の方が優遇されていることに気づいたり、求めている態度やふるまいが戻ってこなかったりしたとき。

 

私たちは「裏切られた」と感じて、深く傷つくでしょう。

 

その痛みと苦しさは、時に心を焼き尽くすように感じられるかもしれません。でもそれは本気で人を愛して、関わるときに必ず体験するもの。避けることはできません。避けるためには、本気で人と関わらなくなることだけで、それは世界と関わらないと同義といえるかもしれません。

 

裏切られたときに、私たちにできることは、気づいていることだけです。相手に何を求めていたのだろうかと。自分の何を投影していたのだろうか。

 

そして痛みを感じることができるでしょう。それはたった今、体験しているものであると同時に、遠い昔に感じていたもの。その痛み。

 

子どもであったときに、世界のすべては親でした。

 

そして大人になったいま、私たちは誰もが完璧でないことを知っています。だから相手に求めても完璧に応えてもらえないし、自分もまた相手を完璧に満たすことはできません。

 

だから、裏切られることしか起こらないし、私たちはそういう世界に住んでいるのだと、気づき続けることだけが、できるのでしょう。