LIVING★生きるまでは死ねない | ***Walk on the light side

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銀河に煌く星たちのように

連休中に駆け込みで『Living』を観てきました。スーパーマリオに気圧されて、ほとんど上映している館がなかったのですが、終了直前に探していってきました。しみじみ良かったですよ!!

 

 

『Living』は黒澤明監督の名作『生きる』のリメイクです。『生きる』は1952年に公開されましたが、そこから70年経ってイギリスでリメイクです。

 

『生きる』は若い頃に観て、すごく感銘を受けた作品だったのですが、このリメイク版は脚本を書いたのがカズオ・イシグロ。それで「ぎゃー!! 観たい!!」と思い立ったわけです。

 

カズオ・イシグロの本、とても好きなんですよね。蠍座だからでしょうか。村上春樹よりも好きです。どの本も読了後にザラッとした感情に触れられる感じ…まさに蠍座なんですけどね。どんな風に処理して良いのかわからない心境に放り込まれ、それでも諦念のようにそれと共に生きるというのが好きなのです。

 

なのでカズオ・イシグロ版の『生きる』がとても楽しみだったのですが、彼の原作へのリスペクトが非常によくわかるほどオリジナル版に忠実でした。

 

強いていうなら主人公のキャラクターが、黒澤明監督が牡羊座のため、やや強く漲るのに対して、イギリス版は非常に深く沈み込んだ感情が描かれているあたりでしょうか。

 

この映画の素晴らしいところは、派手な演出や華々しい展開はなく、むしろそういった娯楽映画の要素をばっさりと落として、日常を生きることのエッセンスだけにギュッと絞り込んだような美しさですね。

 

物語はオリジナル版、リメイク版ともに舞台が日本からロンドンに変わっただけでほぼ同じです。背景も同じ1950年代初頭の市役所で、主人公は市民課の課長です。

 

真面目を絵に描いたような勤続30年、無欠勤という人物。役所では淡々と事なかれ主義で仕事を進め、市民からの陳情は、たらい回しのうえ、放置するような日常です。

 

そんな彼の癌が発覚し、医師から余命半年という宣告を受けて、事態が一変します。

 

奥さんに先立たれて、息子とその嫁と住んでいるものの、関係は良好とはいえず、最小の会話しか交わしていないので、癌であることをふたりに告知できません。

 

翌日、初めて無断欠勤した彼は港町へと出かけて、偶然知り合った人物に余命まもないことを告白し、でも、どうやって心残りなく生きていいのかわからないことを告げます。真面目一辺倒に生きてしまったため、何をすればいいか、わからないのです。そこでバーやストリップに連れていかれるものの、心から楽しむことができません。

 

会社をサボっていたある日、転職を希望している若い女性の部下に出くわして、一緒に食事をすることになります。そこで彼は、彼女が役所のみんなにつけていたあだ名を聴くことになりました。自分につけられていたあだ名は「ゾンビ」です(オリジナル版はミイラ)。

 

死んでいるけれど、動ける……。

 

なるほど、言い得て妙だと、彼は怒るでもなく、微笑みます。

 

その後も、彼女を誘って出かけると、彼女は応じながらも周囲から誤解されるだろうということを伝えます。まるで恋しているかのように見られてしまうと。

 

そこで彼は告白します。自分は病気でまもなく死ぬのだと。そして確かに彼女の明るさに惹かれていると。それは生きている輝き。かつては自分も持っていたもの…希望、明るさ。生きているだけであふれる喜び。いつの間にか失くしてしまったもの。

 

「私は生きるまでは、死ねない」

 

そして彼は死ぬことになる日まで「生きる」のでした。

 

 

ここでいう「生きる」とは、なんでしょう?

彼が死を前にするまでに失っていたものは?

 

私たちの日常は月と土星が刻んでいます。

 

朝がきて、夜がくる、そのあいだで呼吸しながら生きるすべての自然の存在を月が象徴します。

 

土星は時を刻みます。月の持つ命の呼吸とリズムが安定するように守り、保護します。

 

安定した日常生活は、月と土星がタッグを組むことでもたらされるもの。しかし、それがいつしか形骸化されてしまったら?

 

日常から精彩がなくなり、喜びが抜け落ち、昨日と同じ今日を繰り返し過ごす日々。いつもの日常。いつものメンバー。いつもと同じ仕事。

 

でも、本当は違うんですよね。同じ場所でも、昨日と今日は違います。今日の太陽と昨日の太陽は決して同じではないし、同じ風は二度と吹きません。隣の席の同僚も、目の前のパートナーも、いつも違います。いつも新しい、その瞬間を生きているその人なのです。

 

しかし、私たちは忘れてしまいます。忙しさのなかで自分を忘れて、そして他者を見失います。自分は機能の一部であり、相手にも機能することだけを求めているかもしれません。

 

本当に私は今日という日をトータルに生きて、味わっているでしょうか?

 

本当に私は今日、出会った人と心から関わったのでしょうか?

 

「毎日が初演である」というのはウォルト・ディズニーの遺した有名な言葉ですが、慣れて馴染んでいくこと(月)と、そうであってなお、いつも今ここにいること(土星)、そしてトータルにそれに気づいていること(太陽)が『生きる』ということなんだよ、というのが、この映画のメッセージなんですよね。

 

ちょうどザビエの朝活土星セミナーでも、最終日に黒澤明監督とこのテーマが取り上げられました。

 

この映画は黒澤明監督が42歳のときの作品で、それは出生の土星と天王星がそれぞれ、進行の土星と天王星と180度となる、重要な人生の転機のときです。

 

それは自分の人生に目覚めるタイミングであり、それは「ちゃんと自分をトータルに生きているのか?」という問いかけが星からなされる時機。

 

牡羊座の黒澤明監督からのメッセージを、ウエサクの蠍座満月にしみじみと噛みしめるのでした。

 

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現在の土星のトランジットから、いまのあなたのテーマは何か、占えます!!

いまを生きるために、土星のトランジット、大切です!!