太陽と月と青い鳥 | ***Walk on the light side

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銀河に煌く星たちのように

探し続けていた青い鳥が実は家にいたというのは、とても教示だと思うのですが、家にいる青い鳥を見逃していたのではなく、外の世界を旅して、探してまわったからこそ、それが見えるようになったのだろうと思います。

 

私たちは生まれたとき、すべての力とひとつであるという感覚を持っています。お母さんのお腹の中にいたとき、世界と自分はひとつなぎであり、出生直後もあらゆるケアを周囲の人たちがしてくれるからですね。自分は万能で、望んでいるものは何でも叶い、すべてのものとつながっているという感覚があったでしょう。

 

しかし、そのパーフェクトな世界が少しずつ失われていきます。母親は完璧ではなく、それゆえ求めるものがいつでも得られることはなく、また触覚を通して自分と世界とが分離した存在だということを認識し始めると、今度は急に心細さを感じるかもしれません。

 

万能な力や愛や豊かさは自分の外側にあって、自分は何も持っていない、とてもちっぽけな存在のように感じられるでしょう。ひとりでいることが怖くなる人もいるかもしれません。いつも大きな力の代表格であるお母さんやお父さんや他の頼りになる人といたがることが起こるでしょう。

 

大人になったあとでも時々途方もなく「みんなはすごいけれど、自分は大したことない」「私以外のみんなはすごくパワフルで力があるけれど、自分にはそれがない」という感覚が起こるとしたら、それはこのときの記憶からきているのかもしれません。
 

力を失った子どもは母親についてまわり、親が自分の一部であるかのようにふるまうでしょう。そうなるように親の気を引いたり、喜ばせたり、機嫌をとったり、わがままを言ったりするかもしれません。

 

しかし、それもまた裏切られるときがやってきます。いくら頑張っても母親はこちらの望んでいるように私を愛さず、むしろ私をコントロールし、それに応えたとしても、本当に欲しいものを与えてくれるとは限らないからですね。

 

 

そこで私たちは次なるターゲットを探します。友人、恋人、先生、上司、グループやコミュニティ…そこに力や愛や豊かさを求めるでしょう。すごい人、愛あふれる人、力のある集団、優れたブランド、パワフルな仲間たち……。

 

そこに属していると、自分もまた大きな力や愛や優れた魅力の一部になったかのような感覚を得られます。失われた万能な力と再びつながるような思いがするかもしれません。

 

この人こそ、この仲間こそが、私の求めていた愛や力や豊かさを与えてくれるのだ。そんな期待から始まった関係は、最初の何か月かこそはバラ色に輝くでしょう。しかし、そのうちにギャップが生じます。またしても期待が裏切られるのです。

 

こんなに尽くしているのに、報われない。こちらが払っている努力や愛情や献身に対して、支払われる対価が足りてないことに気づくと、愛着や期待が大きかった分だけ、がっかり感や喪失感も大きくなるでしょう。

 

そしてそれが募って「もういい」という思いから距離をおくと、欲しかったものがすべて手からこぼれ落ちて、何もなくなってしまったという感じがするかもしれません。

 

そのときに、その喪失感の中に、私たちは見つけるのでしょう。自分の中に愛も慈しみも力もあることを。外の世界にしかないと思いこんでいたものが、家にあったということを。

 

それは最初、外からやってきたので、外にある、外にしかないと思いこんでいたのでした。世界に探し求め、それを見つけたように思えたけれど、やっぱり違っていた。でも、その喪失のときに、私たちは見るのです。相手に求めていたものが、自分の中にあったのだと。

 

つながりが失われたときに、なくしてしまったと思っていたものは、何ひとつとして失われずに私の中にあったのでした。外の世界にみていたものは、私自身から映し出されていたものだったのです。


太陽と月の関係というのは、こういうことなのだと、思うのです。