持っているものを正確に認知する | ***Walk on the light side

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銀河に煌く星たちのように

先日、ハウスの探求会をしていて、参加者の方々と2ハウスについて、語り合う時間がありました。

 

「私の持ち物」の部屋であり「いかに自分のものを使うか」ということを象徴する部屋ですが、根本的に「私の持っているものはたいしたことがない」という思いがあると、その後の3ハウス以降の歩みが消極的になるだろうことは想像に難くありません。

 

2ハウスには、自分の持っているものを使って、12のハウスのことをすべて経験する、という目的があります。人生で体験し得る、最大の可能性を体験することであり、獲得できるだろう能力、経験、知識のをすべてを自分のものにしたいという欲求ですね。

 

2ハウスは受け取ること、愛されることの部屋でもありますが、私たちは経験したいのでしょう。地のエレメントが司る部屋でもあるので、生きる喜びであり「生まれてきてよかった」という思いを、あらゆる状況を通して体験したいということでもあると思います。

 

誰かと出会って、情報や持ち物を交換したり、安心できる場を共に創ったり。技術や知識を磨いて、人生を豊かにして、それを求める人たちのために差し出したり。誰かを愛し、ときに喧嘩し、怒り、悲しみ、また喜びに包まれて。人と協力して、ひとりではできないことを成し遂げて、社会の発展にささやかに従事する……。


そういった体験、12のハウスの活動を日常の中でぐるぐると螺旋のように繰り返して、経験値と知恵や技術を増やしていく……これを2ハウスはしたいのですね。たくさんのものが欲しいのです。

 

 

そのためには活動に入っていくことが必要で「私はたいしたことがない」と思っていると、どうしても活動に対して消極的になってしまいます。

 

「私はたいしたことがないので、小さく留まっていよう」という思いは、土星の声でもありますね。過去のどこかの時点で、自分を表現したときにうまくできなかったり、否定されたり、望むことが起こらなかったりした経験があるのでしょう。

 

そのようなとき、自分を守るために土星は自身を過小に評価するように働くことがあります。同じ傷を負わなくても良いように、自分の大事なものを守るために「もう見せるのはやめよう」と表現することをあきらめてしまうのですね。そうすると自身の安全は守られるかもしれませんが、しかし、そうすることで世界と関わること、そのものも止まってしまいます。

 

そんな自分の持っているものを認知することも、2ハウスのテーマかもしれません。何ができて、何ができないのか。何を持っていて、持っていないのか。地のエレメントの部屋には客観的な事実しかありません。その持っているものが良いとか、悪いとか、好きとか、嫌いとか、大したことあるとか、ないといったことは、感情の問題ですよね。

 

ここでは単に私が持っているものといないもの、できることとできないことを認識するだけで、そのことにがっかりしようとも、持っているものがつまらなく感じたとしても、いまここから、この持っているものから始めていくしかない、という現実があるでしょう。

 

きちんと目を醒まして、自分の持っているものを、起きている事実をただそのまま認めていくことから、現実への一歩を踏み出していくのです。