先日、大阪の研究クラスで金星の探求をしていたのですが、とても興味深いものがありました。
基礎や中級ではおおまかに読んでいくことの多い星たちを、研究クラスでは1日かけてじっくりと、個人の体験と重ね合わせながら味わっていきます。ひとつの星の持っている、さまざまな奥行きや色合いが「そういうことだったのか~」と腑に落ちていく過程は、とても面白いんですよ~。
金星アプロディーテという女神は、土星クロノスが父である天王星ウラヌスを去勢したとき、切り落とされた性器が海に落ちて、その泡沫から生まれたとされています。そして同時に、去勢された傷跡からこぼれ落ちた血が大地に滴って、エリニュスという復讐の女神が生まれています。
愛のあるところに、復讐が共にあり!!というわけですね。神話はとても興味深いです。
私たちにとって愛や魅力や憧れや欲望といったものたちは、自然に内側から起こるものであり、他者のそれを否定することは誰にもできません。欲しがるものも、憧れるものも、愛のかたちも、その人ならではの魅力も、それぞれの個性があって然るべきで、そこには正しいとか、間違っていることはないのでしょう。
エリニュスは他者に礼を失するもの、上の立場の者が下の立場の者を見下すこと、人の家族を貶めるものをゆるしません。どんな立場の、誰であったとしても、人が人を否定することはできないのです。
愛する人に何かしらの形で愛情を表現したものを、相手から拒絶されたときも、エリニュスが表れることもありますよね。
何かしてあげようとしたものを「いらない」と言われると「じゃあもう二度としないから!!」と愛の窓口を閉じてしまい、それだけでなく、他のことも、何もかも、相手を締め出してしまいたくなるのは、まさに復讐の女神が出現したのかもしれません。
この女神の復讐の方法というのは「ずっとつきまとって、耳元で囁き続ける」というところにあります。地味におそろしい。
でも、私たちの中の復讐心って、そういうものですよね。何度も内側で「あいつを許すなよ」とか「あのことを忘れるな」という声が繰り返されることって、ありますよね。
どんな人の愛も、魅力も、自然から立ち昇るものを私たちは否定することはできないのです。
ですから自分に対して「私なんて、たいしたことない」などと卑下したり、否定したりすると、そこにも復讐の女神が表れるでしょう。ひとたび否定してしまうと、いつまでは「私はダメだ」「無理だ~」と自分を否定し続ける声がどこにいてもついてまわってくるかもしれないですね。
マインドからハートへ。
金星の司る愛や欲望は、決して頭で「よし、こういう人と恋をしよう」とか「私にはこういうものが必要だ」と決めて起こるものではなく「気が付いたら、恋に落ちていた」「ふと見かけた、あれが忘れられない」といった、自然に立ち昇るもの。
マインドは何が正しくて、間違っているのかを分けようとするけれど、ハートはただ、起きていること、すべてをありのまま受け止めます。
すべてのものは「ただそこにあるから、あるのだ」というところに、私たちを留めておいてくれるのでしょう。
ただのそういう私。ただのそういうあなた。そのことにひらかせてくれるのが、愛なんでしょうね~。