私の中に最初すべてあったもの。
感じるもの、考えるもの、表すもの、ひらめくもの、創り出すもの……。愛すること、傷つくこと、怒ること、悲しむこと、喜ぶこと、落ち込むこと……。
すべて同じところからやってきたものなのに「こうするのが正しい」「こうであるのがよい」「これはたくさんあったほうがいい」「これはあまりないほうがいい」と、成長する環境の中で、資質の間引きが行われました。
乱暴はダメ、弱くてもダメ。自分勝手はダメ、自己主張しないのもダメ。欲しがりすぎてはダメ、全部譲ってしまうのもダメ。
ギリシャ神話で土星クロノスは、次々と生まれた我が子を呑み込んでいきますが、私たちが地上に適応して暮らしていくために、幼少期のうちにいくつもの自分の「一部」が刈り取られていきます。
自分のなかにあった「でこぼこの部分」が刈り取られて、あるいは埋め合わされて、それが完了すると、躾がうまくいって、ちゃんと先生の言うことが聴けて、お友達ともちゃんとうまくやれる子どもが出来上がります。
しかし、クロノスに呑み込まれた子どもたちは、死ぬわけではないのですね。ある意味『それが表現されることがゆるされる時期まで保存されていた』ともいえます。
子どもたちを助けたのは、末子の木星ゼウス。嘔吐薬を使って、兄たちをクロノスから吐き出させると、彼らを伴って宇宙戦争を起こして父を倒し、世界を統治するに至ります。クロノスもゼウスに負けたあとは、誠実で成熟した神へと変貌して、彼らの世界を助けるのでした。
神話のこのくだりは、私たちが木星期以降(40代以降))に、幼少期に環境のなかで抑圧され、封印されてしまった自分の一部を取り戻していく過程が表れているのだと思います。そして土星クロノスを制圧することで、土星も共に自身を成熟させる働きとして、人格に統合されていくことになるプロセスですね。
ここでのハイライトは、嘔吐薬を使って、呑み込まれたものを吐き出すことに尽きるでしょう。吞み込まれてしまったもの、生きることが許されなかった自分の部分は、いったい誰でしょう?
子どもの頃、とても弱くて、傷つきやすくて、世界が怖くて、あらゆることが不安で心配でいっぱいだった私は、たびたび母親から「泣くな、傷つくな、不安なことばかり考えるな。もっと強くなれ。弱すぎる」と言われたものでした。
だからといって強くなれるはずもないのですが、弱さを出してはいけない、傷つきやすくては生きていけないと思ってきました。
でも実際には、傷つきやすくて弱い子どもの私がいるので「ここにいるよ」と気づいてほしくて、たびたび対人関係のなかで、傷つけられることをくり返すわけですね。
そのたびにイヤな気分になって、こんなことで傷つく自分をまたしても人生から分けようとしてしまうのです。
本当は分けられないものを、分けようとしている。
分けられないから、何度でもやってくる。
木星の寛大さと慈愛をもって、自分のなかにある繊細さも弱さも未熟さも「そこにいていいのだ」と受け容れることが、内なる宇宙戦争を終わらせるコツなんでしょうね。