リリスという家父長制を超えるカギ | ***Walk on the light side

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銀河に煌く星たちのように

リリスという女神とも悪霊とも呼ばれる美しく妖艶な女性は、アダムの最初の妻ということになっています。

 

神の手でアダムと共に土から作られたリリスは、アダムの妻となると、そのどちらが上ということはなく、対等の存在として扱われることを求めました。

 

しかしアダムはそれを認めず、あくまでリリスを自分の下におこうとしたので、それを嫌がったリリスが楽園を飛び出して悪魔の世界へ堕ちたのだといいます。

 

別の説では、アダムが神から与えられた仕事を放棄するほど、リリスの魅力に夢中になってしまったので、神がリリスを追放したというものもあります。

 

いずれの場合でも、その後にアダムの肋骨からイヴが作られて妻となります。アダムの身体の一部から生まれたイヴは、アダムに従順で、アダムを振りまわすほどの魅力はありませんでした。

 

これは「こうしてすべての女性が男性のもとに従属するようになり、その魅力と力はリリスの追放と共に失われていきました」という、世界のあらゆる場所で長きに渡って条件づけられてきた「家父長制のはじまりの物語」でもあります。

 

この「男が女を支配して、年長の男が若い男を支配する」という制度は、世界中のさまざまな社会に入り込み、脈々と受け継がれてきました。

 

そして昨今になって「すべての人の人権と個性を認めよう」という流れのもと、女性解放が着々と進んでいますが、リリスはそのシンボルでもあります。

 

家父長制の条件づけから脱するカギが、占星術ではリリスというポイントにあるということでもありますね。

 

占星術ではリリスと呼ばれるポイントが三つあって、混乱します。小惑星リリス、架空の存在の月としてのリリス、月の遠地点のリリス……。そのうちの「月の遠地点としてのリリス」を、家父長制からの解放……個人の自立と魅力の解放を示すポイントとして読んでみています。

 

リリスの位置する星座やハウスを表現することが、そのためのカギですね。しかし、これはそう簡単ではないように感じます。条件付けはかなり強烈に刷り込まれているからですね。

 

 

星を見る前に、まず前提として「自身がどれくらい家父長制という条件づけを生きているのか?」ということを考えてみます。

 

意外と気づかないうちに家父長制にどっぷりと入っている人は意外と多いのでははないでしょうか。私も考えてみると、いろいろと染まっていることに気づかされます。

 

たとえば、男性に対して、特にパートナーとなる相手に対して「男性はこうあるべきだ」と無意識のうちに期待しているものが多々あります。

 

リードしてほしいとか、頼りたいとか、ちゃんと社会人として務めをはたして然るべきだとか、最低限これくらいは稼いでほしいとか、自立していてほしいとか、家族を守って子育てにも参加してほしい……とか、いっぱいあります(笑)

 

あるいは、結婚に対して、前提となっているものは? 結婚したら、こうしなくてはならない……相手の親や親戚に気遣ったり、家事や育児は女性が主にやらなくては…とか。社会でメインで働くのは男性で女性は補助的なイメージであるとか、人によって、さまざまな「前提となっている価値観や考え」があるかもしれません。

 

そしてなかには、それらのことが面倒くさい、したくないがゆえに、ひとりで生きるほうがラクだと考える人もいるでしょう。それもある意味、その前提を生きているといえるかもしれないですね。

 

男性にしても、結婚したら義務を果たして、家族を守らなくてはならない。社会で成果を出し続けなくてはならないということを自分に課している人ほど、妻や子供にも家庭や学校できちんと成果を出すこと…あるいは少なくとも自分の邪魔をしないことを求めるかもしれません。

 

そしてそれらの「前提としていること」をクリアできないパートナーを持つと、見下したり、あきれたりして、相手の個性を尊重できないことも、広く言えば、家父長制の影響を受けているだと思います。

 

この「前提となっている価値や考え」と、自分自身が同一化しているほど、それに気づくことはむずかしく、それゆえ、家父長制がなかなか終わりません。世界ではジェンダーの解放が進みつつあり、制度上は名前の呼称の変更など、いろいろと変わりつつあったとしても、意識だけが取り残されてしまうということが起きるでしょう。

 

このリリスを取り戻していくという、女性解放の流れは、私たちが相手への期待を手放し、相手から期待されていることも放棄して、ただひとりの人間としての自我と力を取り戻していくというプロセスでもあります。

 

それって、ものすごく大変ですよね。自分の中で無意識でやっている行為やパターンを見ていく、そして気づくことで、そのパターンを手放していく…そこに反発が起こり、またパターンがやってきては、それをまた見ていく……という、果てしなく続く、精神上のプロセスです。

 

そして幼少期、自我が形成されるときに入りこんできた価値観や考えに気づくこと、取り組むことは、本当に気の遠くなるような作業でもあります。

 

さすがは月の遠地点。無意識のなかの、最も遠い場所。その闇のなかに追放されたリリスを迎えに行くことが、そのための第一歩。

 

私のなかの、生きることがゆるされなかった私。それゆえに未熟で、恐れていて、怒っていて、失望しているかもしれない私を、心の内に探しにいくことが、その始まりなのかもしれません。