私は正しくて、あなたも正しい | ***Walk on the light side

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銀河に煌く星たちのように

天王星・冥王星乙女座世代のお姉さま方が、いつまでも自身の技術や仕事の成果に満足いくことなく、改良を淡々と続けているのだとすると、天王星・冥王星を天秤座に持つ世代に生まれた私にも、ずーーーっと探求している、ひとつの命題があります。

 

それは「私もいいし、あなたもいい」が成立する世界について。

 

私は私の意志や意見があって正しいし、あなたはあなたの意志や意見があって、それもまた正しい、の両立といってもいいかもしれません。すっごくこれについて考えていますし、そしてそのむずかしさも噛みしめています。

 

何がむずかしいって、つまり私はある種の二元を超えていきたいのですが、そう思った瞬間に「二元を超えなくてはならないのか」と、それに対抗するものがおのずと生じるからですね。

 

それが思考の働きでもあるのですが(分離を生むこと)、思考を働かせながらも、思考を超えたところに行きたいという、自分でも書いててよくわからなくなるような、そういうところに理想がある気がします。

 

単純にいうなら、対立構造を作り出して、そこに入り込むのではなく、対立構造は存在するけれど、誰とも対立しないでいられるかというチャレンジをしてみたいということかもしれません。

 

しかし、これが本当にむずかしい……。邪魔する要素は山のようにあります。

 

私が何かの意志を持っていて、それに対し真っ向から逆の意志を持っている人が出現した場合。

 

① 「じゃあ、そうしようか」と迎合するパターン。基本的に対立したくないので、まあいいかと合わせておく。波風立たないし。たいして自分の意志にこだわりがなければ、これで問題ないけれど「本当はこう」というのが強くあると、いつまでも悔いが残ります。ちゃんと自分を生きることができなかったという、自分に対する罪悪感というか、不誠実さみたいなものが残るんですね。

 

② 「はぁ? 私のほうが正しいですし」と対抗するパターン。これは対旦那に表れるものですね。安心してケンカできる相手ともいえます。その場合はとことん戦って、ねじ伏せてやるというところに入ります。このとき、対抗している相手の意志は基本的に無視するか、間違っていると思いこんでいます。いかにこちらが正しいのかということをゴリゴリに押し付けて、それに成功すると満足しますが、これを続けると家庭内にテロリストを発生させることになり、自分の影に刺される日がやってきます(笑)

 

③ 「え? 私が間違っているのか?」と混乱するパターン。これは相手が自分より正しそう(力がある、成功している、社会的地位がある、認められている、堂々としている等)だと起こりやすいですね。こちらの価値観や考えが間違っているのではないかと感じて、不安になり、子どものようにおろおろしてしまいます。あるいはモヤモヤが生じます。

 

その後として、他の力がありそうな人に「どう思う?」と聴いてみることをよくするのですが、その実は自分と同じ価値観の人を見つけて「それでいい」といってほしい、承認してほしいと…要は自分サイドに味方を見つけて安心を得たいだけだったりします。

 

④ 「そうだ、それが正しい」と相手側につくパターン。③の混乱から、より力を持っている相手の意見のほうが正しいじゃないかと、あっさりと宗旨替えです。ある種の自己変容体験。

 

➄ 「所詮、人間、誰ともわかり合えるはずなどないのだ」と防衛するパターン。心の扉を閉じて、自分の世界に閉じこもり「私は私の世界で、ここでわかり合える人とだけ、生きていこう」と心に誓い、頑なに自分の信念を守り抜くやつですね。昔はこれをよくやっていたな~と思います。

 

他にもあるかもしれませんが、そんなこんなで「私が私のまんまで、あなたはあなたのまんまで」それをお互いに認めながら、オープンにひらいているって、日常ではなかなかむずかしいなと思います。

 

 

まず、対立が生じた瞬間に、何かしらの反応(①~➄かそれ以外の)が起こります。それを認知して、それと同化せず、グッと留まってみる。そこに留まるのは、気持ち悪いです。何かしらの感情(怒り、戸惑い、不調和、不安、否定)が生じているまま、ステイするからですね。

 

でもそのまま、それが身体のどこにあるのか、どんな感覚があるのか、それはどんな感情を催させて、それを感じていると、何が起きるのか……ということに開いていくことができると、何かがすこし変わるかもしれません。いろいろなことに気づかされるし、意志の奥に隠された、自分の源にくつろぐこともできるかもしれません。

 

私たちは誰もが自由だといいながら、実際にみんなと違う意見、異なる立場であることは、私たちを不安にさせます。不安だからこそ、上記の反応が起きるし、同じ意見の仲間がいると、安心できるし、属していて力もあるように感じられます。

 

しかしそこに偏り過ぎると、今度は自分たちの考えや価値観こそが正しいというところに入ってしまいやすいもの。

 

そのあいだの不安定なバランスの中で、閉じてしまわずに、ガンコにもならずに、オープンに人と関わり続ける……ということが、私にとってのチャレンジなのです。