
釈迦の誕生、涅槃、入滅がすべて牡牛座の時期の、最初の満月の夜だったということから、仏教国において特別な日とされるウエサクの満月。
天と地をつなぐ特別な光の通路がひらかれるともいわれますが、それは厳しい状況におかれているわたしたちの、内側の深い部分と、外側の世界とをつなぐ道かもしれません。
多くのことが制限される状況に適応し、どうにかやれる限りのことをやっていこうと頑張ってはいるけれど。
そうしている背後に、心の深いところに、誰にも言えず、わかってもらえずに、ぽつんと取り残されたような思いがあるかもしれません。
蠍座の月が12ハウスにあって、これは「仕方ない」「みんなで頑張ろう」と外の世界に合わせてきた意識とは異なるレベルの、深いところにあるフラストレーションに気づかせます。
言っても仕方ないからと飲みこむと、ますます身体が鈍化してしまうかもしれないし、かといって誰に文句を言ったところで、どうしようもならないものと向き合うことになる、激しいジレンマ。
内側にどろっと沈殿していくさまざまな感情……毎日すこしずつ積もっていく苛立ちや悲しみ、不安や怒りに目を向けて、それがエネルギーとして凝り固まってしまう前に、気づいて、解放させたい、春の満月です。

好きななときに、好きなところへ行って、好きなことをするという、21世紀の民主国家の住民が持っている当たり前の権利が、感染症の脅威を前に、停止せざるを得ない状況です。
もちろん、いまこの瞬間も苦しんでいる人たちのために、医療の最前線で日々戦い続けている方々のことを思えば、お互いの安全を担保すべく、誰もが協力し合うことは欠かせません。
その最中において、これまでの常識が否応なく変わっていき、多くの流れが止まり、そしてこれからの世界で、いったい何ができるのか……わたしたちは1歩ずつ手探りで新しい生き方を模索するときなのでしょう。
今回の満月図では、2週間前の牡牛座の新月の流れを引き継いで「価値の変革」というテーマが大きくクローズアップされています。
2ハウスに集まる木星・冥王星・土星が、これまでのように実入りがない状況において、自分の持っている価値あるものを、いかに使うのかということを意識させるでしょう。
この一カ月で生活のリズムや様式が変わり、それに伴ってお金の使い方や物の扱い方が変わったという人も多くいると思います。
そしてまた「わたし自身」という最大の生きた資源の使い方……その時間やエネルギーの使い方についても変わったと思いますし、変えざるを得ないときでもあるでしょう。
それは「わたしがどのように生きるのか」という、自分の命の使い道と向き合う時といえるかもしれません。
やり方を変えるのか、生き方そのものを変えるのか。
わたしたちのなかには、慣れたやり方に留まろうとするエゴの質がありますが、あらゆる生き物が進化し続けているように、外惑星たちが常にその枠を壊して、わたしたちを進化させるために、そこからなかば強引に新しい環境へといざないます。
どのような形で、自分の生きた時間とエネルギーを使うのか、ひとりひとりがそれぞれの立場において向き合い、自身が何者であるのかという問いかけと共に、創り出していくときかもしれません。

変わりたくなかった。
こんなはずじゃなかった。
せっかく順調だったのに。
こうしようと思っていたのに。
果たされなかった約束。
履行されなかった契約。
白紙に戻ってしまった計画。
圧倒的な力の前に、潰えてしまった数々の出来事と、その背後にある感情に弔いをするときです。
仕方がない。みんなも我慢しているし。
言ったところで、何にもならないし。
そう思って、飲みこんできた感情が、わたしたちの心を重く沈めるでしょう。
ままならない現実を前にして、飲み下そうとしてきたかたまりや、どこかに滞っている感情や、かたくなっている身体にやさしく触れて、ほぐして、解放してあげるときです。
どんな重さや、緊張があるのか。
頑張っている、わたし。
がっかりしている、わたし。
怖れている、わたし。
そうか。
こんなにも、わたしは窮屈で、悲しくて、苛立っていて、なにかを切望していたのかもしれない。
そんなわたしに気づいてあげて、もっとその身体に痛みや、かたさが訴えている声に耳を傾けて。
柔らかくなるまで、触れて、寄り添ってあげることが、いまの自分に向けることのできる、最大の愛かもしれません。
新しい時代に向けたアイデアや創造力や行動力も、そのかたく、暗く、横たわる、感情の奥にあるでしょう。
心の深いところに沈殿している、ざらっとした暗い底にまで、光がそそがれるウエサクの月。
どんなに暗く深い、先の見えない闇のなかにでも、愛を持ち得ることができるのだと、わたしたちに教えてくれているのかもしれません。
さらに詳しい満月図の解説は、YouTubeにて。