【新月】2020水瓶座新月★世界を「ここまで」と決めたのは誰だろうか | ***Walk on the light side

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銀河に煌く星たちのように

2020年1月25日6:41に水瓶座の新月ですみずがめ座

冬至からこちら、山羊座に惑星が集まるステリウム期でしたが、そこから一転して、次にやってくる「水瓶座と風の時代」を彷彿とさせる新月となりそうです。

現在、山羊座にいる土星は3月22日に水瓶座に入宮し、7月2日に山羊座へ戻りますが、12月に再び水瓶座へ移動します。

 

追って木星も12月に水瓶座に入宮すると、12月22日に木星と土星とが重なる、グレート・コンジャンクションが起こるでしょう。

これにより、すでに始まっている社会の変革が、より一層、大きく推し進められることになりそうです。


今回の水瓶座新月はその前哨戦となる、試金石のような期間。

それはわたしたちにとって、とても大切で繊細な脱皮の時期ともいえそうです。

ここでしっかりと自分の内深くに潜って、痛みや苦みに触れながら、まだ出ぬ芽をひらくことが、軽やかに人生を送るためのカギとなるでしょう。


世界が変わりゆくときに、わたしたちも変わることが求められています。

天王星がわたしたちの世界……日常と生活を加速的に進化させていく、水瓶座の新月です。



あちこちに散見されているので、もうとっくにご存知でしょうが、改めてグレート・コンジャンクションとグレート・ミューテーションのことを書いておきます。

グレート・コンジャンクションとは20年に1度の頻度で起こる、木星と土星とが同一方向で重なる現象です。

土星が社会の秩序や基盤を象徴し、木星が社会を発展させるための新しい挑戦や可能性の拡大を示すので、グレート・コンジャンクションが起こる星座の方向に向かって、社会はその後の20年間、進化していこうとするでしょう。


直近のグレート・コンジャンクションは次のとおりです。


2020年・水瓶座(風)
2000年・牡牛座(地)
1981年・天秤座(風)
1961年・山羊座(地)
1941年・牡牛座(地)
1921年・乙女座(地)
1901年・山羊座(地)


これを見て、法則性があることに、お気づきでしょうか。

ひとつは、1941年が牡牛座で、再び2000年に牡牛座で起こっていること。1901年に山羊座で、1961年も山羊座です。およそ60年の周期で同じ星座に木星と土星が同時に戻ってきます。暦が還る……還暦ですね。

それから、2000年と1961年以前は、地のエレメントの星座で、木星と土星の会合が繰り返されていることに気づくかもしれません。

牡牛座・乙女座、山羊座という地のエレメントの星座で、グレート・コンジャンクションが始まったのは、1802年からです。そこから2000年まで、およそ200年の間、木星と土星の会合は地のエレメントで、山羊座→乙女座→牡牛座→山羊座…と繰り返されてきました。

このように、グレート・コンジャンクションは20年毎にひとつのエレメントのなかで星座を変えながら会合する、ということを9~10回繰り返します。

そして、およそ200年後に異なる別のエレメントへと移行するのです。

この現象をグレート・ミューテーションといいます。


※厳密にいうと、ある地点で木星と土星が出会うと、次に出会う場所は、そこから243度先の地点となります。それは「同一エレメントのふたつ先の星座の3度先の度数」であり、それを10回繰り返すことで30度進行して、次のエレメントの星座へと移行しています。


ミューテーションという単語は、単なる変化というより「変異」に近い感じで、なにか別のものに移り変わる、出現するという雰囲気があります。

このグレート・ミューテーションが起こる少し前には「次にこんな時代がきますよ」と知らせるかのように、次のエレメントの星座がお目見えします。

1981年の天秤座のグレート・コンジャンクションがそれにあたります。

風のエレメントという、新しい時代がくることを先駆けて予感させました。


実際に1981年から2000年の間に、風の時代の象徴となるインターネット・テクノロジーの出現とその普及が起こっています。インターネットと携帯電話の登場によって、この20年弱で、わたしたちの「あらゆる情報の伝達手段」に革命が起こりました。

2000年のグレート・コンジャンクションは牡牛座で起こり、これは、わたしたちが体験する最後の地のエレメントの時代。

2020年12月に水瓶座でグレート・コンジャンクションが起こると、ここから2219年まで、風のエレメントの時代となります。



グレート・ミューテーションが起こると、社会がめざしていく方向がガラリと変わるでしょう。

これまでの200年の間、社会は地のエレメントの方面へ進化してきましたが、これが風のエレメント方面に変わるというのは、まさしく「変異」です。

 


地のエレメントは物質的な象徴。実用性と常識を重んじて、社会を組織化し、厳密にルールを定めて、誰もがそれに従うことで、安定した日々と豊かな生活の基盤を創り出します。

勤勉にコツコツと積み上げて、実力を増やしていき、結果を出すこと、成果をあげることが何よりも大事な社会かもしれません。

 

成功とは、誰よりもすばやく、正しく結果を導き出すことができる人で、その正しさは「より豊かになるか、どうか」で判断されます。現実的に富の多くを持ち、生み出すことのできる人が力を動かし、有能だとされるでしょう。

ルールを守って、物質的な成功をめざし、冒険をせずに、コツコツと毎日働いて、家や車を買い、家族を養って、豊かな人生の土台を築くことが「正しい」のだと、全員が似たような成功をめざすのも、再現性を重視する地の傾向かもしれません。



ところが。

風の世界になると、これらが一変します。

風にとって、大事なことは自由でいて、縛られず、独創性があること。面白いことを発見しては、それを仲間と分かち合い、かえってきた反応から、また新しいものを創り出すこと。

 

人と異なるアイデアや生き方のほうが面白いので、個性や多様性が尊重されます。


物事に固執せず、留まらず、軽やかでいるために多くの持ち物や責任は持たず、いつも面白がって、遊びのなかからアイデアを見つけ出し、まったく別の視点をもたらすことになるでしょう。

 

経験はあまり重視されず、それよりも独自のアイデアがあって、それをいち早くシェアすること、新たな情報を広げることのほうが重視されます。
 


小学生男子の将来つきたい職業の第一位がYoutuberとなりましたが、これはまさに、その時代がきていることの先触れですね。

地のエレメントの社会だと「公務員」や「誰もが名を知るブランド企業の総合職」みたいなものが花形であるかもしれませんが、風のエレメントの社会だと、自由に世間を渡り歩き、どこにも属さず、しかし大勢の仲間やフォロワーがいて、面白いユニークな生き方をしていて、その独自の視点から刺激的な情報を発信している人が花形となるのでしょう。



いま、世界はこのふたつのエレメントの相反するエネルギーが高まり、ぶつかり合っています。


ますます保守性を高めて、厳しい規律を作り、引き締めようとする勢力と、そこから脱して、自由な個人の領域をできる限り広げようとするものと。

香港の民主化デモや、ヘンリー王子とメーガン妃の王室離脱というのも、この相反の表れかなと感じます。

こういった新旧、規律と自由、保守と革新の対立がどんどん高まる時期であり、それは現実の社会のなかでも、そして個人のなかにおいても、起こってくるでしょう。


変わりたいけど、変わりたくない。

自由になりたいけれど、いまあるものを失いたくない。



わたしたちの意識は風の縛られない自由さや軽やかさに憧れはするけれど、同時に過去から守り続けてきた自身の経験が恐れを抱くのです。

あんな風に生きることなどできない、そんなことしたら、食べていけなくなるぞ、と。


今回の新月は、この矛盾あふれる、心の内側とじっくりとつきあうことがテーマとなるでしょう。

それは個人の自由と責任との拮抗であり、統合です。


 

人生のなかで、実現したいこと、大切にしたいことはなに?

同時に、絶対に欠かすことのできない、責任はなに?



本当に必要で大切で守りたいものをしっかりと見極めて、不要なものをリストラする。

そして、その大切なもの……「自由と尊厳」と「責任」を、どうしたら同時に果たすことができるのかを、じっくりじっくり考えて、統合する。

どちらかを諦めるのではなく、どちらも両立させることのできる第三の道を探すこと。新しい生き方を、創造すること。

これが、わたしたちがいま、体験する変容であり、脱皮です。



「だけど、それを実現させるためには、これだけできないといけない」という思いこみが、地のエレメント時代から持ち越した、古いルールかもしれません。

間違ったら×をつけられて、好きなことを言ったらワガママだと叱られた人にとっては「好きなことを自由に発信すること」そのものに、不安や恐怖を感じるかもしれません。

しかし、そのようにして隠してきた才能を、恐れと共に引っ張り出してきて使うことが、新しい生き方を創造するために欠かせないのでしょう。


たったいま、この瞬間に起きていることを大切にして。

アイデアは計画しすぎず、温め過ぎず、思ったら口に出してみると、そこから次の展開が生まれて、世界が広がるかもしれません。

それはもっと世界を信頼して、世界に自分を明け渡すことでもあるでしょう。

間違うかもしれないこと、気分が変わるかもしれないことを自分にゆるして、思いきって発信していくこと。

ああ、なんて怖いんだろう……!!

世界という広大なフィールドは。


空はどこまでも広がっていて、同じ星の下に、わたしたちは暮らしていて。

人間の定めた国境やルールを、鳥たちは悠々と超えて渡っていく。

自分に自由と可能性を与えて、わたしも羽ばたいてみる。

ドキドキするかもしれないけれど、一歩、また一歩と……。

世界は「ここまで」と決めて、小さく生きる必要なんて、どこにもないのだから。

わたしたちはどこまでも自由に旅をして、新しく出会い、体験をして、輝きを見つけることができるのだから。