【雑記】触覚からはじまって、聴覚で終わるということ | ***Walk on the light side

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銀河に煌く星たちのように


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わたしたちはお母さんのお腹のなかにいる時代、世界と自分とがひとつであることを体験しています。

 

それが生まれ落ちると、自分と世界は分離した存在となり、あの心地よかった栄光の時代を取り戻そうと、再び世界とひとつになろうとするのが、占星術の木星の働きの根底にあるもの。

 

木星は個人が世界を知り、体験して、理解することで、外の世界は決して自分と分離したものではなく、自分の既知の延長にあるものだとするプロセスを象徴しています。

 

 

わたしたちは世界と分離したことを、どのように認識するのでしょうか?

 

その分離のはじまりは、触覚によって体験されます。

 

出産時、わたしたちは母親の狭い産道を押し開くように生まれてきますが、その過程において、全身の皮膚で母の産道を体験するでしょう。

 

これまでひとつであったものが、触覚を通して、分離を味わう瞬間です。

 

実際に胎児の時期に、もっとも早くに造られる感覚器官が触覚だそうです。

 

まず全身のなかで口唇の触覚が発達し、それによって、生まれてすぐに赤ちゃんは本能的におっぱいを吸うことができるということです。

 

 

わたしたちは触覚を通して、自分と相手とが別の個人であることを認識し、自分と世界とが別々の存在であることを認識します。

 

自分と相手は異なる人間で。

 

自分は世界から分離した個の存在で。

 

この自分と相手、自分と世界とが、どのように交わり、関わるのか。

 

世界とひとつになることを望み、だけれども、もうひとつには戻れないというパラドックスを抱えながら、自分の内側と外側を行きつ戻りつしながら、成長していくことが触覚を司る天秤座の物語です。

 

触覚が信頼を育てる

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人間が他者と世界と関わりながら成長して、成熟し、人生を味わい尽くして、たましいが身体から離れていくとき、創られた過程と同じだけの時間をかけて終わりのときを迎えます。

 

受精した卵が胎児となって産み月を迎えるまでと同じだけの時間をかけて、たましいを離れたあとの肉体は分解されていくでしょう。

 

たましいが身体から離れるすこし前に、わたしたちの感覚器官がひとつずつ、目醒めていったのとは逆の過程で、鈍く、弱まっていきます。

 

感覚がひとつひとつ閉じていくなかで、最後の最後まで残るのが聴覚。

 

意識がはっきりとしなくなっても、聴覚はまわりの音をとらえているといわれます。

 

 

12感覚において聴覚は、言葉のなかに含まれる周波数をとらえる器官です。

 

わたしたちは発せられる言葉ではなく、その言葉に含まれる声音から、周波数をとらえています。

 

「早くしなさい」と言われたとき、その語気の強さから、相手が怒っているのか、急かしているのか、落ち着いているのか、困っているのかを、わたしたちは聴覚を通して、感じ取るでしょう。

 

聴覚がとらえるのは、その人や土地が発している、空気の振動。

 

そして空気の振動は、その周波数によって、さまざまな形を創り出していきます。そのため、誰かの声を聴いていると、心が締め付けられたり、逆に和んだりするということがあるかもしれません。

 

聴覚は言葉そのものではなく、言葉になる前の素(もと)=感情や思いのようなものを、音を通してとらえているとも、いえるでしょう。

 

 

わたしたちは誰もが眠るとき、ひとりであっても、誰かが一緒のときでも、自分だけのプライベートなスペースに入っていきます。

 

それはハートの内側。

 

愛する家族も、恋人も、そこは誰も立ち入ることのできない個人の聖域です。

 

 

わたしたちがハートの中心にくつろぐ時間。

 

そこは最も安全で安心できる場所であると同時に、自分の音が創られる元宮でもあります。

 

ハートで感じる、さまざまなものが思いとなり、それが言葉として表現されるものの素となるでしょう。

 

 

ですから、ハートのなかに表現していない音=言葉になる前の素がたくさん詰まっていると、ざわざわと落ち着かない気持ちになり、くつろげないかもしれません。

 

眠りは浅くなり、何度も目醒めて、疲れが抜けきれなくもなるでしょう。

 

 

しっかりと深く眠るためには、ハートが軽やかな状態、つまり言葉になる前の素が詰まり過ぎていないほうが良いかもしれません。

 

もし、なんだか、くつろげない、ハートのなかにざわざわするものがたくさんある、というときは、それをわたしたちの「はじまりの言葉」で表現し、消散させることができるでしょう。

 

わたしたちの「はじまりの言葉」は喃語です。

 

赤ちゃんが言葉を発する前に、話していた言葉「わうわうわー」「はふぶー」「まんまんまー」といった、意味にならない言葉は、わたしたちのハートのなかに詰まっている言葉の素を手放させます。

 

そこには理屈も説明もいりません。

 

ただ、感じていることを、音でそのまま、表現すればいいのでしょう。

 

 

そして軽やかになったところで、ハートの内側に入り、深くくつろぐと、わたしたちは個人の意識を超えて、集合意識、集合無意識へと向かっていきます。

 

個人が世界とひとつに溶け合い、大地とつながり、天とつながり、宇宙とつながっていく。

 

わたしたちが言葉が創られる元宮に、深くくつろぐことで、世界と再びひとつとなる体験を、夜ごと繰り返しているといえるでしょう。

 

聴覚を司るのは蟹座。

わたしたちを地球のもっとも安全な場所と結びつける星座です。

 

 

振動が音を創り出し、形を創り出す。

 

本当の音。本音。

 

すべてが闇の中に閉じていき、見えず、感じず、香りもせず、味もなくなった世界で、最後まで残る音。

 

 

わたしたちが最初に聴く音は、母の心臓です。

 

母体のなかで力強く、生命の息吹を聴きながら「わたし」が創られていきました。

 

 

そして終わりのときに、ひとつずつの感覚が閉じていき、すこしずつ音も消えて、わたしの形も消えていく。

 

その最後の瞬間に聴く音は、いったいどんなものなのでしょう。

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