2017年7月23日18:45に獅子座の新月です
太陽が獅子座に入って、まもなくに起こる獅子座の新月です。
今年の夏は獅子座の新月が2回起こる特別なタイミング。
今回は獅子座のはじまりで新月となりますが、8月22日に獅子の心臓(ハート)に位置する一等星レグルスの真上でもう一度、全米を横断する皆既日食と共に起こります。
わたしたちのもっとも気高い意識が目を醒ます夏。
魂の声に導かれて、自分の道を切り拓く夏です。
獅子座は『自分であることを証明する』星座です。
ここでいう『自分』とは、一体どんな自分でしょうか?
わたしたちのなかには、さまざまな自分がいます。
占星術的に分類するなら、「それ好き」「なんか怖い」とその時々で揺れ動く感情としての自分と、「それは正しい/間違っている」「それは役に立つ/立たない」「それは意味がない/大義がある」と常にジャッジするマインドの自分。「寒い」「お腹空いた」「眠い」と、いまこのときの体感覚を司る自分とがいるといえるでしょう。
そして、それらの声が入り乱れて、わいわいがやがやと賑わっている背後に、でーんと構えて、物言わずにそんな「自分たち」を見ている、観測者としての自分がいます。
「わたしはいま、疲れている」
「わたしはいま、落ち込んで塞いでいる」
「わたしはいま、自分をダメだと思っている」
ということに気づいている観測者の自分が、他の自分たち---感情(ハート)と思考(マインド)と身体(感覚)に振りまわされたり、同化したりするのではなく、彼らを統率することで、わたしたちは自分の人生を自分自身で導き、創り出していくことができるのでしょう。
人生そのものを舞台とし、自分自身を主役として、『自分であることを証明する』のです。
これが好きとか、嫌いとか。損とか、得とか、正しいとか、間違っているとか。役立つとか、意味がないとか。それをすると疲れるとか、面倒くさいとか、大変とか。
そういう声がわたしたちのなかでは、いつもひしめき合っているかもしれないけれど。
それらをただ眺めて、ただ一途に、自分の内側にあるものを現実の世界のなかで形にしていくことが、クリエイションなのでしょう。
わたしたちのマインドやハートは、何かしらのもっともらしい理由をつけて、人生を創造することを放棄し、代わりに誰かの人生を生きようとすることが多々あります。
仕事とはこういうものだから。お金にならないから。
結婚とはこうだから。親がこういうから。あの人がこういうから。世間体があるから。
間違っているかもしれないし、自信もないし。力がないし、才能がないし。
怖いし、疲れるし、面倒くさいし。
そう言っているのはどの自分で、わたしはそのとき、「誰と」同化しているのでしょう?
理由をつけて言い訳したり、なまけてラクしようとしたりするのは、マインドやハートの常套手段。
わたしたちの観測者である魂は決してあきらめず、情熱をなくすこともなく、ただ自分の内にある可能性を開花させようとしています。
誰かに縛られることもなく、何をするのも自由で、可能性は無限に等しいほどあり、それが「なんのために?」とか「うまくいくの?」などと心配することもないでしょう。
わたしたちはただ、魂が求めていることをやってみたい、体験したい、味わってみたい、堪能してみたい----ただひたすらに、自分が求めているそれを、自分の全部で体感し尽くしてみたいのでしょう。
わたしたちのひとりひとりが、他の誰かのように生きるのではなく、他の誰かに従うのでもなくて、『自分で在ること』を求めています。
誰かのためでも、なにかのためでもなく、自分自身のために。
わたしが自分自身にのみ忠実に仕えたときに、わたしの器の中心の玉座に王が還ってくるでしょう。
自分に忠実に、責任を果たし、道をひらき、そこを歩く。
魂は光り輝き、生きる力と情熱が充実感と共に満ちあふれ、その力がさらに人生を創り出す源となっていきます。
真夏の太陽がわたしたちに爆発的なエネルギーをもたらしてくれるときです。
誰もが自分自身を統率して、何にも誰にも服従しない気高い自分として立ち上がったときに、世界は愛と光で満ちあふれ、他者と戦うことも、誰かを使って自分を満たす必要もなくなり、おたがいに信頼して支え合う、共存の道がひらかれるでしょう。
わたしたちのなかのもっとも気高い意識が立ち昇り、自身を王国へと導いていく、獅子座の季節です。