
8月11日に木星が入宮したあとで起こる、初めての乙女座の新月。
乙女座は個人を完成させていく、ブランディング力を持っているサイン。
「こうでありたい」という高い理想と目標を掲げて、それをただの妄想で終わらせることなく、現実のものにしようと、思い描いたイメージを両手でつかみ取り、地に降ろすことのできる星座です。
いつかみた夢を、現実にできるかも知れない。
いつかなりたいと思っていたわたしは、遥か遠くではなく、いまここに。
天まで届きそうな壮大な理想を自分自身の力で地に降ろし、クオリティの高い人生を創造する

憧れで終わるのか、自分がそれになるのか。
あなたの心のスイッチひとつで、生き方が大きく変わっていくときです。
もしかすると、あなたはいま、内側でなにか小さなシグナルをキャッチしているかも知れません。
それは、あらゆるものがすこしずつ変わっていき、これまでと同じではいられないような気がするというきざし。
そして、その変化がわたしたちを、まだ体験したことのない未知の世界へいざなおうとしているような雰囲気。
いま、わたしたちはすこしずつ霊的な成長の速度を速めて、思考を止めることなく、感情を堰き止めることなく、新しい道へ進むときがきているのかも知れません。
大きな選択ができなくても、いまいる環境のなかで、手探りするようにひとつずつ、やりたいことを実現させるときです。
いつも以上にシャープな思考になりやすいときなので、そこに意図を持つことで、アイデアは山のように立ち昇る可能性があります。
そのひとつひとつを吟味して、選り分けて、できることからやってみる。
求めることに対し即座に答えがやってきて、またなにかしらの反響や手応えも得られるかも知れません。
またこの時期は自分の内側であまり使ってこなかった部分や、使い慣れている部分の対極にあるものを育てることが大切です。
外に広げることが慣れている人は、内側で育てる意識を。
内で積み上げていくことが得意な人は、それを外側で分かち合う意識を。
動きまわっている人は、内なる静けさを。
静かに過ごしている人は、動きたがっている部分を。
隠れたところに意図をもたらし、使っていない部分をより意識的に使うことは、まもなくやってくる秋分のトピックスのひとつです。
対極にあるものを育てることは、二元性の自己強化につながるでしょう

また、これらの行為はいずれも現実的なようでいて、とても深いところに働きかけ、自分自身を解放していきます。
そこに意識的になるほど、内なる陰陽の側面がひとつに統合されていき、積年のパターンから自由になることができるでしょう。
乙女座で重なる太陽と月が、自分自身でさだめた目標に向かって、たんたんと努力することを支えてくれるときです。
自分で「こうする」と決めたことを成し遂げるだけの力があり、またそれをまわりの人たちが助けてくれるかも知れません。
自分ひとりでは諦めたくなるようなことであっても、他の誰ががんばっている姿をみて、励まされることもあるでしょう。
そういったことは、思っている以上にわたしたちに影響をもたらしています。
またこの時期、自分の指導者が誰なのか、あるいは自分の行動の指針に影響を与えている人が誰なのかを知っておくことはとても大切です。
その人物の内なる意図をわたしたちは意識的であれ、無意識のうちであれ、引き継ぐことになるでしょう。
他者からの恩恵をいつも以上に受け取ることができる時期ですが、それだけにその影響力の強さと方向性に気づいていることが大切です。
おたがいに自分の内に持っている理想やヴィジョンを相手に求めすぎたり、重ねすぎたりしないように、キチンとコミュニケーションをとって調整すると、恩恵の部分を得られやすくなるかも知れません。
乙女座が木星に入ると、向かいに滞在していた魚座の海王星と180度の関係になり、これはこの秋のはじまりの季節と、2016年の春から初夏頃に特に強い影響として表れる可能性があります。
これは非常に高い理想の高まりと、しかしそれを地に降ろし、実現させようと努力する星の組み合わせです。
この共鳴によってわたしたちは、とても高いレベルの現実を自分に要求して、それに応えることができるでしょう

理想を実現できるときです。
またスピリチュアルやアートやヒーリング、スポーツにも良い時期であり、瞑想の質をそこにもたらすことでビジネスで成功するチャンスも得られるかも知れません。
しかしその一方で、高い意識がひらきやすくなるため、そこに肉体が反応できないと、とても眠くなりやすい時期でもあります。
質の良い食事や睡眠、生活環境、適度な運動で肉体レベルと現実生活のクオリティを高めることが、高い意識を地上に降ろすためには必須かも知れません。
また、内側に自己否定や無価値観があったり、あるいは明確で実現可能なプランが存在しないにも関わらず『ラクしてどうにかしたい』というぼんやりとした気持ちがあると、それは現実回避として、眠気や無意識のうちの依存や甘言を呼び寄せるかも知れません。
どんな現実を体験するために、どこへエネルギーを使っていくのか。
身体を使い、意図して、行動する。
日々の生活のなかのひとつずつを意識的に選択する。
『これをする』と覚悟する。
わたしたちを高みへ連れていくものは、小さな現実のいまここの選択と行動の積み重ね。
それはもっとも遥かに長い道のりへ歩む遠回りなようでいて、実は一番の近道なのでした。