2015夏至 ☆ 光と影のはざまから生み出す | ***Walk on the light side

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銀河に煌く星たちのように

2015年6月22日01:37に夏至です


春分を起点として太陽の周囲をめぐる地球が1/4まで進み、太陽活動がピークに達します。

陽が極まり、陰に転じるタイミング。

これから始まる夏の季節は表面的には陽の活動が目立ち、あらゆるものが色鮮やかに、情熱的に見えますが、その内側では陰のチカラが働いています。

華やかな輝きの背後に、自分の影を見る夏の季節。

わたしたちが内側で働く影のチカラに気づくほどに、表に立ち昇る光の輝きも満ちてくるのかも知れません。


2015年の春分は牡牛座13度から始まりました

2015春分☆誠実に豊かに心地よく
http://ameblo.jp/light-side/entry-12003515159.html


今回の夏至は、牡牛座12度から始まります


春分に引き続き、牡牛座から始まるこの夏の目的は『個性や才能を活かして、豊かで心地よい現実生活を築いていくこと』


わたしたちがすでに持っている個性と才能を存分に活かして、豊かな日々を送りましょう、とあります。


このとき、『多く与えるものに、多く返ってくる
というのが牡牛座の法則。

欲しいものを与えられるのを待つのではなく、才能を使って生み出し、それを惜しみなく他に与えていくことで、より大きな豊かさが返ってくるでしょう。

『創造して、与えていくこと
』が、豊かさのカギとなります


創り出したものは自信をもって、歓びと共に、堂々と魅せていきましょう


華やかに、大胆に、大きくアピールすることで、ますます豊かさが広がり、活躍の機会が増えていくかも知れません。

わたしたちは面白いものができたとき、自然とそれを誰かに見せたい、分かち合いたいという思いが湧き上がります。

子どもが遊びの最中に「ママ、見て!」と得意気にいう、あの感覚です。


わたしたちのもっとも大好きでワクワクするもののなかに才能が横たわっています。

制限なく、思いきり大好きなことをしているとき、わたしたちは夢中になって時が立つのを忘れ、面白さのなかに創造性や自由な発想力が次々とかきたてられるでしょう。

そこはわたしたちの才能の宝庫です。

しかし、もし……

「遊びすぎてはいけない」
「ちゃんとやりなさい」
「うまくできないとダメ」
「もっと真剣にやって」

遊びに夢中になっているとき、そんなことをいわれたら、どうなるでしょうか。

それまでイキイキと空間を自在に飛び交っていた発想力や創造性は、ジャッジを意識した途端、みるみるしぼんでいくかも知れません。


でも、本当にそうでしょうか。

ちゃんと真剣に、遊びすぎず、うまくやることが、最善なのでしょうか。


わたしたちが他者や外の世界とのあいだに罪悪感や怒りを感じるとき。

その背後にはジャッジがあります。

そしてジャッジには、なにかしらのこうでなくてはいけない、こうあるべき、といった「信念」があります。

でも、はたして、その「信念」は絶対的に正しく、いつでも「こう」でなくてはならず、例外は許されないものなのでしょうか。


蠍座に逆行している土星が、この夏至から秋分にかけての三ヶ月のあいだ、わたしたちの関係性のなかに隠されている闇を浮き彫りにする可能性があります。

もし、他者との関係のなかである種の居心地の悪さや、罪悪感や、自己否定感や、無価値感を感じたら。

そこに表れる自分の影。

苦虫を潰したような、なんともいえない絶妙な居心地の悪さ。


罪悪感や自己否定感や無価値感は、わたしたちのハートをかきむしるような、キーキーとした不協和音を耳元で鳴らされているような、なんともいえない心地悪さを与えます。

しかし、それを見ないように、感じないように、遠ざけても、それが消えてなくなることはありません。

それを見ないように感じないようにすることで、それらはどんどん積もっていき、いつしかわたしたちは遠ざけたはずのその影と同化してしまいます。

すると、自信のなさや自己否定感や無価値感や罪悪感が、いつも自分の中心に居座っているようなことになるかも知れません。


しかし、わたしたちは影でも光でもありません。

それらはいっときのあいだ、わたしたちの内側を駆けめぐる感情。

色鮮やかに輝きを放つ歓びの背後で、いつも静けさと沈黙の影が共に働いています。


影を封じると、光の活動も止まってしまいます。

自信がないから、やるのをやめる。

否定されたくないから、人と深くつながらないようにする。

無価値だと思われたくないから、大きなことはやらない。

あなたに悪いから、わたしはガマンする。

それらを本当に自分の中心に置いておきたいのでしょうか?


他者や外の世界のなかに見出す自分の影の姿を受け容れながら、世界に光を分かち合う。

それをするわたしは、光でも影でもない。


光も影も、わたしという器のなかをいっときのあいだ、通り過ぎていくだけで。

その通過する光と影のはざまから、わたしは生み出す。

どんどん、どんどん生み出していき、それを世界に与えることで、わたしも世界もますます豊かになっていく。


この夏の季節は、華やかな輝きの背後に働く、静かな影を感じるとき。

そしてそこから、わたしたちの真に豊かな現実が始まるのでしょう。