2013年12月22日 02:11 冬至
もっとも暗き冬の夜。
丑三つ時は神様の時間。
わたしたちの内側に眠っていた神秘の才能が目を醒ますような冬至の星のめぐりです。
わたしたちは普段、社会のなかでどれだけ「自分の才能」を隠しているのでしょうか。
いろいろなことがわかってしまうとやりきれないから。
誰かを怒らせないように、機嫌を損ねないように、本心を隠しているほうがラクだから。
本当にしたいことだけでは、食べてはいけないから。
好きなことだけをするのは、ワガママだから。
さまざまな理由をつけて、わたしたちは社会に適用するために、少なからず自分自身の持っている力の上限を切り離して生きているのかも知れません。
そのために生じる弊害としての「生きづらさ」
魂という無限の光が、肉体という限られた可能性の中に閉じこめられて、さらに環境という時代の中に閉じこめられてしまうと、その中で息をするので精一杯で。
まるで魂の輝きを忘れてしまったかのように、したいことではなく、しなくてはならないこと、本当に感じていることではなく、まわりに良いと思われることを優先して暮らすことに慣れてしまったのかも知れません。
だけれども、星のめぐりが地上に反映されるように。
地上の営みが世界のあちこちで同時に共鳴するように。
宇宙の広がりと同じことが人の体内でも起こっているように。
限られた環境のなかでも、魂の輝きを放って生きることは決してむずかしくはありません。
闇の中から光を見出す、静かな女神が目醒めるときです。
激動の時代のなかで、先が見えないときに、頼るべきものはなんでしょうか。
荒波に翻弄されて、他者や環境に振り回されて、先の見えない闇の中だからこそ、静かに目を醒ます女神。
生き抜くために月を読み、風を読み、天と地のあいだに活路を見出す、内なる姫神。
怖いから、不安だから、間違ってはいけないから、自信がないからと、思考を止めて、輝きを隠し、誰かに責任を押し付けて生きることは、魂に対する怠慢といえるかも知れません。
長いあいだ封印してきた内なる神秘を解き放ち、自分の持つすべてを使い切って生きるときが来たことを、冬の星が告げています。
世界は刻々と変わり続け、これまでの常識は覆り、当たり前のものがそうでなくなり、ぼんやりしている間に情勢は二転三転していくでしょう。
緊迫した空気のなかで、互いの意志をもつれ合いさせながら、チカラを図り合い、消えゆくものと生き残るもの、変化するものとに分かれていきます。
この2013年、そして2014年から2015年と、わたしたちは時代の変化の中枢を通り抜けています。
ここで選択したことが未来を大きく変えていくのです。
だからこそ、ひとりひとりが月を読み、風を読み、勇気を出して活路に踏み出していくときなのでしょう。
わたしたちの肉体が霊を祀る神殿であることを思い出して、内なる光を放ち、みずから暗い足下を照らして一歩ずつ進んでいきたい冬のはじまりです。