宿坊の朝は早い。
朝7時から勤行が始まる。
護摩堂に集まって院主の声明を聴く。
高野節とも呼ばれるそうで独特の節回しはなんとも心地よい。
密教はサンスクリット語のお経のため何を言っているのかはわからないが
菩薩様や仏様の名前を唱えているのだとか。
これこそが真言であり、真言を唱えるから真言宗なのだと。
読経が終わるとお寺の説明。
私の泊まった宿坊は国宝や重文を多く持っているお寺だそうで
貴重な文化財を真近でみる幸運に恵まれた。
ここであの外国人に遭遇。
他に二人外国人客がいた。
日本語は微妙な様子の3人。
声明はともかく、それ以外の説明は聞いてわかるんだろうか・・・。
朝のお勤めが終わると朝ごはん。
精進料理は動物性たんぱく質がないのが一番の特徴。
お魚がないのは寂しいが肉嫌いの私にはうれしい料理だ。
もうひとつ有難いのは量が多すぎないこと。
普通の旅館やホテルだとこれでもかというほど出てきて
小食な私は辟易することが多いのだ。
さて二日目。
まず奥の院へ。
祝日は時間が遅くなると日帰り客でごった返すであろうとの予想から
有名な見所は朝の内に行っておくのがいいだろうと思い
8時半に宿坊を出発。
高野山というところは少し不思議な場所だ。
ここへ着くまでは結構な苦労をして山道を歩いて来たというのに
三内には山を思わせる坂道などまるでなくどこへ行くのも平坦な道ばかり。
そういう場所だからここまで大きくなり栄えたのだろうし
弘法大師もそういう場所だからここを選んだということなのかもしれないが。
奥の院への道の両脇には沢山の墓石が立ち並ぶ。
戦国武将、江戸期の大大名、戦没者慰霊碑、南海電鉄の創始者まで多種多様。
シロアリの慰霊碑まであった。高野山はそういう場所。
古いのだけれど新しい。高野山は今も現役のお寺なのだ。
奥の院には弘法大師がおわしているという。
あと数年で開創1200年だそうだが
いまでもお大師様はそこにいて人々の願いをかなえてくれているのだそうだ。
奥の院の隣には燈篭堂とでもいうべき建物があり
全国各地からここへお参りに来た人々の願いをこめた燈篭が保管されている。
朝の勤行のとき宿坊の院主さんが説明してくれたところでは
真言宗は所謂葬式仏教とは違う。
死者の供養を行うようになったのはつい最近のことで
それまでは護摩祈祷だけで栄えてきた宗教なのだそうだ。
護摩祈祷というのは衆生の現世での悩みの解決や
願いの成就のために祈りをささげることであり
ゆえに真言宗は実力で栄えてきた宗教なのだと。
確かに今でもお大師様の法力を頼って護摩祈祷に願いを託す人は後を絶たず
燈篭堂には新しい燈篭が沢山並んでいるし
奥の院でお大師様に真摯に祈りをささげる人が沢山居た。
七五三のお祓いをしに来る人だっているのだ。
残念ながら私には信心というものがない。
宗教に人を動かす力があることは認めるが
祈りで願いが叶うということを信じることは出来ない。
東大に入りたいと願う人が高野山で護摩祈祷をして合格した
という出来事を弘法大師の法力だと考えることを否定するつもりはない。
でも
神頼みをするほどに願う気持ちが
その人を試験勉強に奮い立たせてその結果試験に合格した
とそう考えるのが私だ。
ただそうやって弘法大師にお願いしたんだから大丈夫だと心に念ずることで
人が心の平安を持ちえるなら、自信を持って何かに臨むことができるのなら
そうやって人の心を動かすことが出来るのが宗教の力だとは認める。
でも絶対に叶わない願いだってある。
死人を蘇らせてほしいと願ったらどういう結果になるのだろう。
そんなことありえないと誰だって知っている。
その願いに宗教はどう応えるのだろう。
喜捨が足りないといってより高額な寄付を求めるのだろうか。
夢枕にでも立たせてその願いを押しやるようにさせるのだろうか。
もしその人が夢枕に立ったなら私はきっとこう考えるだろう。
夢は人が寝ている間に行われる脳内の情報整理の過程
蘇ってほしいという強い願いが頭の中にいつもあるのなら
情報整理の途次により具体的な形で人の記憶に残るのはごく自然なことだ
と。
高野山は事実上昭和のころまで女人禁制だったそうだ。
どうしてもお参りをしたい女性のために女人道という女性専用の参詣道があり
こちらも今はハイキングコースになっている。
高野山内をぐるっと囲むように作られていて
何箇所か女人堂と呼ばれるお堂が設けられ
女性はそこに篭って祈りをささげたのだとか。
その女人堂も今はひとつを残すのみ。
私が今回歩いたのは高野三山と呼ばれる
摩尼山、楊柳山、転軸山の3つの山のほうだけで
女人道をぐるっと回ったわけではないが入り口も出口もわかりにくく難儀した。
それなりに山道で和服を着てわらじを履いて歩くのは
ずいぶん難儀であったろうと思う。
そもそも女人道につくまでの道のりも
今は途中まで電車で行ってということもできるが
それもなかった時代は本当に決死の想いだったのだろうし
その悲壮なほどの覚悟には本当に頭が下がる。
休日ということもあってか近隣からハイキングに来ている人に何人か会った。
私が東京から来ているというと「わざわざ」という言葉を出してずいぶん驚いていた。
日帰りでハイキングに来る方は大体は大阪か和歌山からの方のようで
宿坊に泊まる観光客は町石道や高野三山、女人道めぐりなぞあまりしないようだ。
電車できてバスで観光名所をめぐるのは
体も楽だし時間もかからなくて便利な方法ではあるが
やはり自分の足で歩いて見聞きするのとは感慨が一入も二入も違うものだと思う。
昼過ぎに雨が降り始めてだいぶ気持ちが萎えたが
山道は落ち葉でふかふか。
木々は紅く色づいて美しく
写真を撮りながらゆっくり下山して地上にたどり着いたのは15時ころ。
宿坊に戻るのはまだ早いしと思いながら金剛峰寺を覗いてみると
案の定人だらけ。
すぐに引き返してお土産街へ。
高野山のお土産はというと・・・
高野豆腐、焼麩、梵字柄のTシャツ、お経、金剛杖、紀州の梅干、麩饅頭などなど。
冬山の日暮れはやい。
14時を過ぎれは西陽がさし始め、16時半ころには日没を迎える。
標高が高いこともあってとにかく寒い。
紅葉は綺麗だが次に来るのは夏にしようなんて思いながら宿坊へ引き返す。
明日は大伽藍と金剛峰寺へ行こう。


