日本学術会議の件について思うこと② | らいふたいむ

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日々の出来事や思うことについて書いていきたいと思います。

日本学術会議の騒動はかなり大きくなりましたね。

安倍政権も菅政権もみていくポイントはやっぱり整合性だと思います。


色々デマやフェイクニュースなど飛び交っては議論されていますが、前にも話したようにやっていることに整合性が取れているかが重要だと思います。

本質について世界からも注目されてきたなって思ってた矢先…。

日本学術会議の会員人事をめぐっては、菅総理大臣が9日、任命されなかった会員候補6人を含む105人の推薦者リストを「見ていない」と説明されました。

こんな発言をしてしまうからどんどん追い込まれていくのかもしれませんね。

じゃあ誰か6人を拒否したのか

その状況で、「総合的、俯瞰的」な判断はどのようになされたのか?

新たな疑惑を作ってしまいました。

黒塗りの推薦者リストが野党にも上がってきている情報もあるので、それを総理が見たとき、普通なら「6人の黒塗りの箇所は何で黒塗りなのかな?」って疑問に思いますよね。

色んな方の承認を経て、総理まで上がってきているのに誰も詳細な確認をしないのでしょうか?

詳細を確認せずに、承認を通していく会社ってあるのかな?(こんなに黒塗り書類が話題になってる中で)

そもそも、推薦者105人もいるのに全員のことを総合的、俯瞰的に判断できるのか?って問題もありますよね。

105人の研究内容を全て確認して、バランスが取れているか取れていないかを判断するのは難しいのではないでしょうか。
この時点で総合的、俯瞰的に判断し得るための選考基準が存在しているかもしれないことが推測されます。

黒塗りのリストの承認について考えられる要因は
①上がってきた書類を何も考えずに承認した。
②拒否のことを事前に知っていたから疑問を持たずに承認した。

①は問題外なので、②で考えたとき、選定基準は現段階では分からないですが、105人をチェックしきれないとしたら、事前に何らかの承認・拒否の名前リストがあって、拒否の名前があった方を拒否された可能性があったりもするかもしれません。

推測ですが、この辺も誰か裏取りしてくれたらいいですが。

こんなの総理に書類がいつ届いて、いつ確認してって時系列で確認すれば詳細なんてすぐ分かってしまうのに…。

主な問題を整理すると
①法の解釈の問題(任命権利の有無)
これは100歩譲って、任命できれば拒否もできるという考え方はできるのかもしれないですが、この「任命」には制限が付いています。
1983年に形式的に任命、また人事介入は行わないということが答弁で明確にされていますね。

仮に政府が内々に「介入は行わない」から「介入を行うことができる」と解釈を180°変更していたならば、学問の自由とか云々じゃなく民主主義を揺るがす大きな問題として、世界からも注目される可能性が高いと思います。

②6名を任命拒否した理由。
人事に関わることなので説明ができないような事を言ってますが、日本学術会議は独立性が保たれた機関であると考えたとき、分かりやすく言えば、違う会社の人事に口出しをしてしまったんだから、説明は必要ですよね。

③誰が6名を排除したのかという新たな問題。
これは、時系列で確認が必要な問題だと思います。

④日本学術会議の透明性。
ここもしっかりと議論されることで、国民にとって有益な機関になれば良いと思ってます。

この流れをみていると、総理の発言の裏で、いろいろな口裏合わせの為に、改ざんがまた行われてしまうのではないかと危惧しております。

また世界では
アメリカの「サイエンス誌」
イギリスの「ネイチャー誌」
フランスの「ル・モンド紙」
イギリスの経済紙「フィナンシャルタイムズ」
などが今回の騒動をスキャンダル的な扱いで取り上げていますね。

海外からの研究者の方たちが、日本に学びにくる機会の減少や、日本の優秀な研究者達が海外に流出してしまう。そんなことが起きないことを願います。

安倍政権から菅政権の流れをみていく中で、「日本はどこに向かっているのだろう」と思ってしまいます。

2022年の学習指導要領から新科目「公共」で愛国心条項」が追加されたり、「基本的人権」「日本国憲法」が無くなって、憲法について説明をする項目すらなくなってしまうらしいです。
大丈夫なのか?

記者数名の閉鎖的な会見…。

巷ではファシズムという言葉もちらほら聞かれますが、確かに「米国のホロコースト記念博物館に掲示してあるファシズムの初期兆候14項目と似ている点があるといえば、そう捉えることもできるかもしれない。

それくらい、行為の異様性が顕著になってきてるということでしょうか。

ここまでくると、少し危機感を持って注視していくことが必要かもしれませんね。

私は右寄りでも左寄りでもないフラットですが、
国民が生きやすい世の中を作るために、考えていただきたいと願うばかりです。