未来(27) もうすぐ無くなるであろうノスタルジックな峠茶屋 | 自分史の旅 tarojie

自分史の旅 tarojie

黄昏の落ち葉が似合う年齢になった。何かを残すこともない過ぎ去る日々、何かストーリーを書いておきたいと思いブログを始めたものの面倒だと思う日もある。忘れること思い出すことできなくなるかもしれない。まだ真黄色な楽園ではない。少しは色もある萎びれ枯れて行く。

未来(27) もうすぐ無くなるであろうノスタルジックな峠茶屋

 

蛍の飛び交う季節になっている。能登の地震発生から6カ月経っていた。NHKは進まない復興を報道していた。少子化、高齢化、過疎化が未来を描けないことを伝えていたようなものだ。水が来ない。道路、家が壊れたまま。誰も住まない。

 

蛍は今年もカメラ輝跡を残しながら飛び舞っているのだろう。梅雨空に黒々とした山影と棚田にカエルの合唱が響きあちらこちらと静かに蛍が灯す。このような光景がある。一方でそんな日本の原風景に憧れをもって多くの異邦人がくる。

 

あの風景を支えているのはもう高齢者ばかりだ。若者はほとんど見られない。一時的に復興してもその後も維持できないであろう。未来に残す意義も見出せなくなっている。この道を登って行くと峠のお茶屋さんがある。脇に山の尾根を伝って湧水が出ている。

 

こんな風景はよく見られていた。峠茶屋は既に廃屋になり饅頭も買えない。この峠に来る車もない。トンネルができたからだ。昔は賑わいだ街道であった。宿もあった。人がいなくなると狐、タヌキが大喜びであった。

 

害獣とされるアライグマ、ハクビシン。大型のイノシシ、鹿、クマもいる。そのうちに害人が侵入してくる。ガラス戸が破られあちらこちらに全く意味も成さぬ落書きのし放題。屋根の瓦が落ち雨漏りがし始めてくる。

 

峠は多くの映像の舞台になるが寂しいねぇ。『大菩薩峠』か『峠の群像』。どちらが好きかね。誰もがそのうちに思い浮かぶ峠の光景と思うともっと寂しいねぇ。私は栄華の後の『峠の群像』今の時代にぴったりだ。そうだろう。その峠の未来がね。心配だね。

(2024年7月5日)