記憶(44) 記憶の街がもうなくなっていた | 自分史の旅 tarojie

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黄昏の落ち葉が似合う年齢になった。何かを残すこともない過ぎ去る日々、何かストーリーを書いておきたいと思いブログを始めたものの面倒だと思う日もある。忘れること思い出すことできなくなるかもしれない。まだ真黄色な楽園ではない。少しは色もある萎びれ枯れて行く。

記憶(44) 記憶の街がもうなくなっていた

     

電車がホームに滑り込んだ。この駅は新今宮、乗換駅でよく利用していたが今日は降りた。この駅には昭和の香りと現在が混じりあう所だ。階段を下りて左に折れるとあべのハルカスの孤独な高層ビルが見える。少し前まで最も高いビルであったがその地位を譲っている。

     

少し歩くと路面電車が走り大阪市内ではここだけになってしまった。通りすがる人はここには2種類の匂いを感じる。一つは昔からのドヤ街といわれスタンドのような飲み屋で昼から酒を煽っている。

   

もう一つはツーリストである。それも海外から来る。この駅は関西空港に直結している非常に便利な駅である。聞こえる言語はアジア言語が多い。特に中国、ベトナム、南アジア、中東が多く聞かれるところだ。何といってもホテルの宿泊費が3畳ほどしかないが個室で3千円以下だ。

 

トンデモなく安い宿だ。それでもビジネスホテル並みに全てがそろっている。通りがかりの彼らは大きなケースを引きづっている。こんな光景は私が若いころ全く見られなかった。通天閣を横目に恵比寿駅、日本橋を歩いた。

      

ここには半世紀前に忘れた思い出がある。ここでしばらく働いたことがあった。21歳で50年前だ。エアコン販売、工事会社で毎日ライトバンに乗りながらエアコン取付に走っていた。仕事がない時、車を止めコーヒーを飲みながらパンにかじりつきコミック誌でバカのように時間をつぶしていた。

 

日本橋は昔、電気街であった。秋葉原のようなところであった。その思い出はもうほとんど見られないぐらい町が変わっていた。観光用のホテルに変わっていた。1974年連合赤軍の連続企業爆破があったころだ。もう私には忘れた街だ。

 

コミックバンド殿様キングスの『なみだの操』が猛烈に流行ったころだった。この街の爺さんたちがすぐ歌いそうだ。この街にはあまりいい思い出がない。もう忘れよう。

(2024年4月13日)