姑息な飲み屋早く潰れろ(1) 正直者がバカを見る | 自分史の旅 tarojie

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黄昏の落ち葉が似合う年齢になった。何かを残すこともない過ぎ去る日々、何かストーリーを書いておきたいと思いブログを始めたものの面倒だと思う日もある。忘れること思い出すことできなくなるかもしれない。まだ真黄色な楽園ではない。少しは色もある萎びれ枯れて行く。

姑息な飲み屋早く潰れろ(1) 正直者がバカを見る

世の中には害をまき散らす輩が多い。以前のコロナ禍、社会で取り上げていたが姑息な飲み屋のタイトルで独立シリーズとした。姑息な飲み屋は我が自宅近くに実在する迷惑店である。特にこの店がこの辺りに無くても良い。

 

カフェバーと名乗るこの居酒屋はやや若い中途半端な人間が飲みに来る。ここは郊外の店で駅からも遠い。当然自家用車で来なければならない。その店に飲みに来る者は当然酒気帯び運転で帰る。繰り返すがこの店に半端な若者、おっさんが多く来る。

 

静かに過ごしてくれればよいが時に気勢を上げ五月蠅い。そんな店の取り締まりをお願いしたが特定の店の取り締まりができないと言われた。警察は事件後でしか動けないとも言っている。発生予測ではできないと言われた。

 

『飲んだら乗るな』と言われる標語は全く役立たない。この店があるために迷惑な行為はこれだけではない。近隣に車を止める、たばこの吸い殻は捨てる。夜陰に紛れて立ちションはする。臭いなどの環境が悪化する迷惑店である。

 

この地域の営業は午前0時までである。しかし店は灯を落として営業はしている。この取り締まりは行政当局の環境課である。一通りの文言を電話で言ってくれるがそれで終わりである。条例で規制しても実効性が疑問である。

 

この前TVタックルで千葉にある中国人の迷惑スクラップ処理施設が取り上げていた。すぐにでもストップさせることができないのか。この国の政(まつりごと)がどこを見ているのか不思議な感覚だ。

 

明らかにルールを守らない方の害毒が放置され遣り得感がある。無力な市民を放ったらかしてである。なぜ放置されるるのかねぇ。正直者がバカを見るように促しているように見えるねぇこの国の政治は。

(2024年3月17日)