童話に『マッチ売りの少女』と『フランダースの犬』がある。マッチ売りは1枚の絵からアンデルセンが書いたと言われている。もう一方は英国のウィーダが作者である。どちらも共通するのは1800年代後半、ベルギーとデンマーク、そして最後に子供が死ぬ残酷。
いかにも天国に旅立ったように幸せに死んだように描かれている。哀しいが救いを残す余韻が少しある。どちらもフィックションだ。1800年代はヨーロッパでは産業革命がはじまり多くの新しい道具が発明される。鉄道、電気、写真もそうだ。
帝国主義がはびこり多くの植民地ができた時代だ。経済が拡大しより大きな欲望の時代に突入している。もう一つの背景は貧困が必ず入っている。主人公が金持ちでは物語はつまらない。貧乏な少年少女の死をもって話は完結している。
日本の童話では子供が亡くなったおじいちゃん、おばあちゃんに会いに行くような話が多い。残酷に子供が最後に死んでは流行らないかもしれない。日本人のメンタルと社会的背景かも知れない。
童話ではないが『火垂るの墓』では子供が死に物語が始まる。サクマのドロップ缶の蓋が開いて蛍が飛び交うシーンである。サクマドロップの廃業はまだ昨年の話だ。私的にはまだ最近の話で童話ではない。今のウクライナとガザにはそんな死が多くあるであろう。
何となく湿っぽく書いてしまった。今日23日、外は雨。井上陽水氏に『傘がない』フレーズに『行かなくちゃ 君に会いに行かなくちゃ 君の街に行かなくちゃ 雨に濡れ』『君にそんな人いたかね』『忘れたかね』
(2024年2月25日)