ときどき日輝(32) 星一徹は父親として素晴らしい父子鷹 | 自分史の旅 tarojie

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黄昏の落ち葉が似合う年齢になった。何かを残すこともない過ぎ去る日々、何かストーリーを書いておきたいと思いブログを始めたものの面倒だと思う日もある。忘れること思い出すことできなくなるかもしれない。まだ真黄色な楽園ではない。少しは色もある萎びれ枯れて行く。

ときどき日輝(32) 星一徹は父親として素晴らしい父子鷹

 

あの頃スポ根アニメとして『巨人の星』は圧倒的であった。星一徹は再婚することなく子供を養っている。ストーリーのなかでは酒も飲んでいた。子どもに暴力も振るっていた。子どもにギブスも付けさせる問題もある家庭そのものだ。

 

うさぎ跳びは現代のスポーツ医学では体には全く鍛錬できないと結論づけられている。現代の子育てケーススタディの作品と見れば面白い。あの頃は全くそんな事に疑問は持っていなかった。漫画の話しだと思っている。漫画は漫画、子供娯楽作品と思っていた。

 

文学作品でもなく、大人の世界から見ても『漫画ばかり読んでないで』といわれ低廉な雑誌の作品であった。しかし内容は『父子鷹』そのものだ。星一徹は真面目な父親像を作っている。作者の梶原氏はそのことを気にして作品に仕上げたに違いない。

 

テレビのストーリーは週刊誌の後追いをしていたのだが少しずつ内容が変わっていった。大人になった星飛雄馬も少年雑誌から大人の週刊誌に移行している。多分に読者の年齢層を考えたのだろう。

 

テレビアニメの放映時間も変わった。昔は子供の食事時の夜7時始まりであった。今は夜中の2時ごろにも放映されている。子どもの時間ではない。ビデオに録っているのだろう。無数にあるアニメ番組に年齢とともにいつの間にか全く見なくなった。

 

子どものころ将来への『夢』があり、先行きいくらあるかわからないカウントダウンの老人が、興味を失うのも止むを得ない。私はファンタジーの作品が好きだ。昨夜も見ていた。あの世への作品に知らず知らず近づけられている。そうだ星一徹の最後もテレビを見ながら死ぬようだった。

 

♪宵闇せまれば 今宵もふけゆ~く♬~ 星一徹はこんな歌、歌っただろうか。

(2022年10月31日)