ときどき日輝(1) 賢者の思い込み 日日是好日 打疫苗  | 自分史の旅 tarojie

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黄昏の落ち葉が似合う年齢になった。何かを残すこともない過ぎ去る日々、何かストーリーを書いておきたいと思いブログを始めたものの面倒だと思う日もある。忘れること思い出すことできなくなるかもしれない。まだ真黄色な楽園ではない。少しは色もある萎びれ枯れて行く。

ときどき日輝(1) 賢者の思い込み 日日是好日 打疫苗 

去る土曜日にワクチンを打てた。1回目だった。友人に聞くと私は早い方であった。誰も私より遅い日であった。何か宝くじを当てたような大層な気持だった。郵便でワクチン接種の知らせが来たときは遂に来たかと思った。

 

それが開封して予約の段になると全く取れない。ラインで予約できるのだがどこもアウトであった。次にクリニック、病院に電話を入れたがどこも受け付けてくれなかった。そんなことで悶々として翌日の朝ラインを入れると取れた。かつての市民病院だった

 

市民病院の面影があるが今は民間に委託している。密にはなっていないが多くの人でいっぱいだ。機械的に次から、次から打ち出していてスムーズだ。出かけてから1時間20分ほどで帰ってきた。往復40分の道のりを引くと約40分の滞在であった。

 

次、2回目は3週間後であった。同学年の誰かに会うのかとも思ったが誰も知らない人であった。地元の中学を終えてから半世紀、その時の流れは接種後の15分間にいみじくも思い出された空間であった。同じ年齢と思しき人はこんなにいるのかと驚かされる。

 

2日間ほど痛みは少しあったが今は無い。我が町でも1日に34人も数えた時があった。何人かは重症になって亡くなっていてもおかしくはない。家内が接種後どうなるか心配で私の隣に座っていた。私は家内の運転が心配で自分でしていた。どちらも異なる心配をした『賢者の思い込み』であった。

 

こんな事なら一人で十分であったが久々のデートであった。このボロ車もう何年だろう。今年また検査だ。もう新車を買って軽だなと勝手に思っていた。タイトルの日輝は日記に綾かって書いた。この歳になっても時々は輝きたい思いだ。

(2021年6月7日)