決めつけない事の大切さというのか
重要なfactorだよなぁと
あらためて
腑に落とし込まれている
そんなかんじ
決めつけちゃう
その背景には
自身の考え→ 存在が脅かされちゃう
その恐怖心が頭ん中
拡がっていっちゃってるんだろうなぁ
それゆえ
混乱?しているせいか
話が飛び飛びで
なにが言いたいのか
伝わってこないし
こういったら
あれだけど
激しい態度でぶつけてくるから
下品な行為をしているにしか
僕にはみえない
自戒もこめて
まじで
気を付けて
生きていこうと思う
気が付かせてくれて
ありがとう
写真は38~39歳の頃だと思う
頭でっかちすぎたなぁ
決めつけすぎてばっかだったなぁ
損をしていたなぁと
いまはそう感じ思う
+
+
重要なfactorだよなぁと
あらためて
腑に落とし込まれている
そんなかんじ
決めつけちゃう
その背景には
自身の考え→ 存在が脅かされちゃう
その恐怖心が頭ん中
拡がっていっちゃってるんだろうなぁ
それゆえ
混乱?しているせいか
話が飛び飛びで
なにが言いたいのか
伝わってこないし
こういったら
あれだけど
激しい態度でぶつけてくるから
下品な行為をしているにしか
僕にはみえない
自戒もこめて
まじで
気を付けて
生きていこうと思う
気が付かせてくれて
ありがとう
写真は38~39歳の頃だと思う
頭でっかちすぎたなぁ
決めつけすぎてばっかだったなぁ
損をしていたなぁと
いまはそう感じ思う
+
ひとそれぞれ
育った環境は異なるので
ひとそれぞれの分
育った環境、家族等からの文化は
継承されて生きてきて
誰しもなにかしらの
認知の歪みは生じているのは
仕方ない事だなぁと
あらためて感じ思います
1つの言葉でも
投影から生じる
転移の陽性反応、陰性反応もまた様々で
そこかから派生していく
受け取り方、捉えた方も異なり
ひとの反応のバリエーションには
つくづく驚かされます
そのような場面に出くわす度に
物理的な孤独ではなく
内面的な部分では
誰しもが孤独を抱えて生きていて
完全に理解し合う事は
おそらくないのだろうなぁと
共感といえども
個人という媒体を通しての
主観からの客観性という
観方、捉え方になるので
完全なる共感とは成らず
自身の感受性、想像力が
試される場面でもあるなぁと
つくづく感じ思います
本当は〇〇という表現を用いるひとの
文章に触れる度に
どこかしらがっくりしてしまうのは
そのひと自身に対してではなく
所詮ひとはひとりなんだと
突きつけられる瞬間の場面でも
在るからだなぁと
そんな事を感じ思ったりします
ひとの分、その分の
本当が在るだろうから
虚しさとは また違う思い
それらの場面+場面を通過しながら
大きな思い
慈悲、慈愛というもんが
いま以上、膨らんでいけるように
持っていけたらいいなぁと
そんな事を 静かに感じ思う朝
育った環境は異なるので
ひとそれぞれの分
育った環境、家族等からの文化は
継承されて生きてきて
誰しもなにかしらの
認知の歪みは生じているのは
仕方ない事だなぁと
あらためて感じ思います
1つの言葉でも
投影から生じる
転移の陽性反応、陰性反応もまた様々で
そこかから派生していく
受け取り方、捉えた方も異なり
ひとの反応のバリエーションには
つくづく驚かされます
そのような場面に出くわす度に
物理的な孤独ではなく
内面的な部分では
誰しもが孤独を抱えて生きていて
完全に理解し合う事は
おそらくないのだろうなぁと
共感といえども
個人という媒体を通しての
主観からの客観性という
観方、捉え方になるので
完全なる共感とは成らず
自身の感受性、想像力が
試される場面でもあるなぁと
つくづく感じ思います
本当は〇〇という表現を用いるひとの
文章に触れる度に
どこかしらがっくりしてしまうのは
そのひと自身に対してではなく
所詮ひとはひとりなんだと
突きつけられる瞬間の場面でも
在るからだなぁと
そんな事を感じ思ったりします
ひとの分、その分の
本当が在るだろうから
虚しさとは また違う思い
それらの場面+場面を通過しながら
大きな思い
慈悲、慈愛というもんが
いま以上、膨らんでいけるように
持っていけたらいいなぁと
そんな事を 静かに感じ思う朝
共通の趣味が在る等
それも自分以外の誰か
特定な存在のひとと
より深い関係性を構築させていく上で
大切なfactorでも
在ったりするかと思うが
似たような痛みや苦しみを抱え
生きてきた
生き抜いてきた
そのようなひとに
惹かれていく事は
誰かかすれば
いわゆる 傷の舐めあいに
捉えられるかもだけど
似たような痛みや苦しみを
分かち合う事で
互いが前に進むきかっけにも
なったりして
傷の舐めいという枠組みだけでは
収まり切れないfactorでも
在ったりするよなぁと
僕はそう感じ思っている
痛みや苦しみは
自分自身の深いところで
何を求めていたのか
何を求め続けているのか
自分なりのほんとうの痛みや
苦しみを知る事は
自分なりのほんとうの望みを知る
そのきっかけにも
なったりもするなぁと
ありきたりな
表現かもだけど
僕にとっては
希望の光 だ
それも自分以外の誰か
特定な存在のひとと
より深い関係性を構築させていく上で
大切なfactorでも
在ったりするかと思うが
似たような痛みや苦しみを抱え
生きてきた
生き抜いてきた
そのようなひとに
惹かれていく事は
誰かかすれば
いわゆる 傷の舐めあいに
捉えられるかもだけど
似たような痛みや苦しみを
分かち合う事で
互いが前に進むきかっけにも
なったりして
傷の舐めいという枠組みだけでは
収まり切れないfactorでも
在ったりするよなぁと
僕はそう感じ思っている
痛みや苦しみは
自分自身の深いところで
何を求めていたのか
何を求め続けているのか
自分なりのほんとうの痛みや
苦しみを知る事は
自分なりのほんとうの望みを知る
そのきっかけにも
なったりもするなぁと
ありきたりな
表現かもだけど
僕にとっては
希望の光 だ
ひとが恐くて恐くて
仕方なかった
そんな時代がある
30代半ばが過度期で
その当時の僕は
それまで抑圧されて来た思いが
一気に顔を出してきて
物凄く不安定な状態だったなぁと
誰かから話しかけられないよう
話しかけるなバリアを
ガンガンに放していたので
傍から観たら
きちがい扱いはされていたように
感じ思う
恐がるなと言われても
恐いよね
こればかりは直ぐに
どうのこうの
というわけでもないし
身動きできないという
かんじでもあったし
動きたくても動けない
それがまた辛かったし
苦しかったし
自分自身が感じ思っている
そうは言えども
ひとのこころ, 精神というもんの
複雑怪奇さを
思い知らされたりもして
その頃は
片割れも生きていたので
お前までそうなのか!と
周囲から言われるのが
恐くてたまらんくて
でも最後は
倒れちゃったけどね
それから
少しずつだったけれども
取り戻していく
その過程の段階へと
はいっていった
そんなかんじで
あれやこれやで
52歳になっている
まぁ そんなかんじです
そのような時代の時間のながれ
時間のおもさというのか
勿体ない等
悲観的に捉える事も
可能だろうけど
そうではない捉え方もまた
可能なわけで
実際に現在
この仕事をさせて頂く
取り組まさせて頂いているなかで
あの頃、感じ思っていた事たちが
活かされたりもしていて
あの時あの選択をしていたら云々
思い巡らせちゃうのが
生身の人間なんだろうけど
あの時代を経験できた事もまた
ここに辿り着くには
必要な内容だったかもだろうし
これからでもあるよね
さらに その意味を知って
理解していくかもしれないのはさ
人生に意味はないと
言い張る, 言い切っているひとたち
みかけたりするけど
それはそれで
そう捉えるのはいいかと思う
思想の自由があるし
僕はというと
意味が在る事柄も在る
そう感じ思い捉えながら
生きている
そのような思想を
選択している
そんなかんじです
仕方なかった
そんな時代がある
30代半ばが過度期で
その当時の僕は
それまで抑圧されて来た思いが
一気に顔を出してきて
物凄く不安定な状態だったなぁと
誰かから話しかけられないよう
話しかけるなバリアを
ガンガンに放していたので
傍から観たら
きちがい扱いはされていたように
感じ思う
恐がるなと言われても
恐いよね
こればかりは直ぐに
どうのこうの
というわけでもないし
身動きできないという
かんじでもあったし
動きたくても動けない
それがまた辛かったし
苦しかったし
自分自身が感じ思っている
そうは言えども
ひとのこころ, 精神というもんの
複雑怪奇さを
思い知らされたりもして
その頃は
片割れも生きていたので
お前までそうなのか!と
周囲から言われるのが
恐くてたまらんくて
でも最後は
倒れちゃったけどね
それから
少しずつだったけれども
取り戻していく
その過程の段階へと
はいっていった
そんなかんじで
あれやこれやで
52歳になっている
まぁ そんなかんじです
そのような時代の時間のながれ
時間のおもさというのか
勿体ない等
悲観的に捉える事も
可能だろうけど
そうではない捉え方もまた
可能なわけで
実際に現在
この仕事をさせて頂く
取り組まさせて頂いているなかで
あの頃、感じ思っていた事たちが
活かされたりもしていて
あの時あの選択をしていたら云々
思い巡らせちゃうのが
生身の人間なんだろうけど
あの時代を経験できた事もまた
ここに辿り着くには
必要な内容だったかもだろうし
これからでもあるよね
さらに その意味を知って
理解していくかもしれないのはさ
人生に意味はないと
言い張る, 言い切っているひとたち
みかけたりするけど
それはそれで
そう捉えるのはいいかと思う
思想の自由があるし
僕はというと
意味が在る事柄も在る
そう感じ思い捉えながら
生きている
そのような思想を
選択している
そんなかんじです
沖縄も気温が下がり
明け方はひんやりして
身が引き締まったりする
この道に進んでからは
明け方前4時から5時前には
自然と目が覚める
明け方 静かな時間は
外界と自分自身との繋がりを
日中よりリアルに
僕は感じられる
目が覚める直前に
ほぼ必ず
過去のやらかした出来事を
思い出さされながらの起床
というかんじなので
目覚めはまず内省
そして反省
で 悔い改めて
改善していこうと
感じ思う時間に
僕は なっている
ゆるすということは
僕にとっては
なかなかハ~ドルが高く
すぐに気持ちを
切り替えるということは
出来ない
器のちいさい奴なんだろう
長い時間をかけて
知って理解出来る事が多く
それが いま だったりもする
この1年ちょい
移動には出来る限り車は使用せず
ひたすら歩きまくったせいか
解離性健忘の症状の状態も
やわらかくなり
記憶もしずかに
浮かび上がってきて
激しさというよりかは
冷静に感じ思うことが出来たのは
よかったなぁと
いまは そう感じ思っている
僕は 神さまという表現を
用いるのを好むので
ここでもいつものように用いるが
神さまのタイミングという配慮を
しずかに感じ思っている
現在ではなかったら
きっと 激しい反応を示していたと
そう感じ思う
解離性健忘の症状が
改善されてきた現在
自分のこれまでの人生が
ああ こうだったのかぁと
認識出来て
いままで感じ思うことがなかった
また違う
落ち着きのなかにいる
冷静に受けとめられている
というのか
しずかで うっすらと
いいにおいがする
そんなかんじで
よかった
ありがとう
+
この写真は 2014年1月1日 元旦の日に
片割れの哉と一緒に
浜比嘉島を訪れて
数時間過ごしました
その帰り際の夕陽です
この元旦が
片割れとこの世で過ごす
最後の元旦でした
この元旦の日、
体調もよかった片割れ
声掛けして
一緒に行って よかったなと
そう感じ思っています
明け方はひんやりして
身が引き締まったりする
この道に進んでからは
明け方前4時から5時前には
自然と目が覚める
明け方 静かな時間は
外界と自分自身との繋がりを
日中よりリアルに
僕は感じられる
目が覚める直前に
ほぼ必ず
過去のやらかした出来事を
思い出さされながらの起床
というかんじなので
目覚めはまず内省
そして反省
で 悔い改めて
改善していこうと
感じ思う時間に
僕は なっている
ゆるすということは
僕にとっては
なかなかハ~ドルが高く
すぐに気持ちを
切り替えるということは
出来ない
器のちいさい奴なんだろう
長い時間をかけて
知って理解出来る事が多く
それが いま だったりもする
この1年ちょい
移動には出来る限り車は使用せず
ひたすら歩きまくったせいか
解離性健忘の症状の状態も
やわらかくなり
記憶もしずかに
浮かび上がってきて
激しさというよりかは
冷静に感じ思うことが出来たのは
よかったなぁと
いまは そう感じ思っている
僕は 神さまという表現を
用いるのを好むので
ここでもいつものように用いるが
神さまのタイミングという配慮を
しずかに感じ思っている
現在ではなかったら
きっと 激しい反応を示していたと
そう感じ思う
解離性健忘の症状が
改善されてきた現在
自分のこれまでの人生が
ああ こうだったのかぁと
認識出来て
いままで感じ思うことがなかった
また違う
落ち着きのなかにいる
冷静に受けとめられている
というのか
しずかで うっすらと
いいにおいがする
そんなかんじで
よかった
ありがとう
+
この写真は 2014年1月1日 元旦の日に
片割れの哉と一緒に
浜比嘉島を訪れて
数時間過ごしました
その帰り際の夕陽です
この元旦が
片割れとこの世で過ごす
最後の元旦でした
この元旦の日、
体調もよかった片割れ
声掛けして
一緒に行って よかったなと
そう感じ思っています
境界線は大切だと
感じ思いますが
特定の誰かと
Closeな関係性を構築していく
その過程への中で
上っ面だけでは
その先へと進めない事も実際に在って
なにかを伝えていく際に
愛着形成の課題からか、
Closeな関係性への構築に
慣れていなく
自己防衛反応から
やわらかく接していく
という事が
なかなかむずかったりする事も
在ったりと
生身の人間の複雑さに
てを焼いたり
そんな事もまた在るなぁと
それ、まずくないかと
あれ、まずくなかったかと
デリケートな内容を
伝える際には
それは顕著に表面に
現れやすくもまた、
なったりするよなぁと
そんな事もまた
感じ思ったりしています
窘める
そこには
お互いの信頼関係さを試される場面
でも在りますが
その場面を避ける事はなく
お互いに通過して
互いへの敬意と共に
安定したファンデーションの元
いいかんじの関係性を
構築していけたらなぁと
恐がらずに
きっと、大丈夫 😌✨
感じ思いますが
特定の誰かと
Closeな関係性を構築していく
その過程への中で
上っ面だけでは
その先へと進めない事も実際に在って
なにかを伝えていく際に
愛着形成の課題からか、
Closeな関係性への構築に
慣れていなく
自己防衛反応から
やわらかく接していく
という事が
なかなかむずかったりする事も
在ったりと
生身の人間の複雑さに
てを焼いたり
そんな事もまた在るなぁと
それ、まずくないかと
あれ、まずくなかったかと
デリケートな内容を
伝える際には
それは顕著に表面に
現れやすくもまた、
なったりするよなぁと
そんな事もまた
感じ思ったりしています
窘める
そこには
お互いの信頼関係さを試される場面
でも在りますが
その場面を避ける事はなく
お互いに通過して
互いへの敬意と共に
安定したファンデーションの元
いいかんじの関係性を
構築していけたらなぁと
恐がらずに
きっと、大丈夫 😌✨
疲れた心を乗せて
家路に向かっている
車のネオンがすき
行きの朝とは違って
どこか緩められていて
せかついていないところが
さらに いい
夜の社交街の景色もすき
少し声が大きめになって
ほろ寄っているひとたちの姿を
愛おしく感じ思う
もう会社勤めはしていないので
会社帰りに
飲み屋さんに行く
という事はなく
同僚たちと来ているんだろうなぁと
そのような場面に
遭うたびに
羨ましくも感じ思う
お店を出た後
ほろ酔いながら
そんな社交街の中を
歩くのがすき
お店+お店から聞こえる
ひとたちの声と
演歌も 民謡も 流行りのうたたちも
ごっちゃになりながらも
1つの交響楽曲になって
ほんわかとやわらかい場を
作り出していっている
世界は美しいなぁと
自分のなかから
自然と湧き上がってい来る
思いもまた
嬉しい
ありがとう
家路に向かっている
車のネオンがすき
行きの朝とは違って
どこか緩められていて
せかついていないところが
さらに いい
夜の社交街の景色もすき
少し声が大きめになって
ほろ寄っているひとたちの姿を
愛おしく感じ思う
もう会社勤めはしていないので
会社帰りに
飲み屋さんに行く
という事はなく
同僚たちと来ているんだろうなぁと
そのような場面に
遭うたびに
羨ましくも感じ思う
お店を出た後
ほろ酔いながら
そんな社交街の中を
歩くのがすき
お店+お店から聞こえる
ひとたちの声と
演歌も 民謡も 流行りのうたたちも
ごっちゃになりながらも
1つの交響楽曲になって
ほんわかとやわらかい場を
作り出していっている
世界は美しいなぁと
自分のなかから
自然と湧き上がってい来る
思いもまた
嬉しい
ありがとう
+
今日もお疲れ様です
新年明けて 甥っ子と甥っ子のかーちゃんとの
新年会の準備への買い出しに
今夜 行ってきました
いいかんじのローストポーク用の豚肉や
甥っ子の好きな海老や
フライドチキンの冷凍詰め合わせ
仏壇に御供えする
みかんやりんご等購入
今夜再確認して
明日また買い出しに行く
というかんじ
買い出ししながら
甥っ子や甥っ子のかーちゃんのことを思い
まじでね ありがとう
という思いになった
彼等しかわからない思いを越えて
いまを生きている
ほんと、甥っ子のかーちゃんには、
健全に育んでくれて、
ありがとう という思いでいっぱいです
まじで、ありがとう
いまワイン飲みながらだから、
ぐっときています
今日で甥っ子が13歳になる
誕生日おめでとう
甥っ子が1歳半の頃に
彼の父親で
6歳下の弟が急性心筋梗塞で他界して
その当時は
家族皆が喪失感を抱きながらも
甥っ子の存在で
家族皆が勇気づけられたというのか
現実を受け入れて
生きていく
日々の生活を紡いでいく
その事の大切さを
伝えてくれたというのか
パパがこの世に不在という事で
そのあとは一緒になって
遊ぶ機会が多くなって
甥っ子と過ごしてきた時間たちが
僕のこども時代を徐々に
癒していって貰ったなぁと
人生はどこでどうなるか
ほんとわからなくて
思い通りにならない
回避する事が出来ない
事柄たちに
どう向き合い
どう対処していくのか
後ろ向きな姿勢での取り組みよりかは
自身のなかに在る力を
出来る限り最大限に
前向きな姿勢へと
転換させていく
その力を
甥っ子と共に過ごしながら
僕は取り戻してきたように
感じ思ったりしている
今年中学に入学した甥っ子
現在は部活に励んだり
友達と過ごす時間が
多くなってきている
甥っ子は甥っ子で
こうしていち人間として
外の世界と交わり関わっていきながら
彼の人生を歩んでいる
小さい頃に思いきり共に過ごした
あの時間たちが在るから
甥っ子も安心して
外の世界との関わりを持ち
社交性を学ぶという
取り組みの段階へと
歩んでいけているんだなぁと
僕は感じ思っている
健全に成長して
いっているんだなぁと
ほんわかあったかくなりがら
そんな事を感じ思う
大きくなったら 脇毛も生えて
ちんちんにも毛が生えるんだぜ~
と言うと
自分は大きくなっても
脇毛も ちんちんに毛も生えらないと
言い返してくれた甥っ子 笑
一緒になって
仮面ライダーごっこした事や
妖怪体操第一を踊った事
絵本を一緒に読んだ事
あの頃だからこそ
経験し
感じ思う事が出来た
各場面たちは
貴重な宝物
僕にとっては大きな財産です
あらためて
誕生日おめでとう
君の事をたくさんのひとたちが
思っている事を
辛いことが在ったりした時には
思い出して
これからもいい時間たちを
紡いでいってください
いつでもどんなときも
君の事を思っています
近くキングスの試合、
一緒に観に行こうな✨
写真は お手伝いをする甥っ子
当時3歳くらい
ついこのあいだのような
気がするのもまた
時間のながれは
不思議で興味深い🎉
誕生日おめでとう
甥っ子が1歳半の頃に
彼の父親で
6歳下の弟が急性心筋梗塞で他界して
その当時は
家族皆が喪失感を抱きながらも
甥っ子の存在で
家族皆が勇気づけられたというのか
現実を受け入れて
生きていく
日々の生活を紡いでいく
その事の大切さを
伝えてくれたというのか
パパがこの世に不在という事で
そのあとは一緒になって
遊ぶ機会が多くなって
甥っ子と過ごしてきた時間たちが
僕のこども時代を徐々に
癒していって貰ったなぁと
人生はどこでどうなるか
ほんとわからなくて
思い通りにならない
回避する事が出来ない
事柄たちに
どう向き合い
どう対処していくのか
後ろ向きな姿勢での取り組みよりかは
自身のなかに在る力を
出来る限り最大限に
前向きな姿勢へと
転換させていく
その力を
甥っ子と共に過ごしながら
僕は取り戻してきたように
感じ思ったりしている
今年中学に入学した甥っ子
現在は部活に励んだり
友達と過ごす時間が
多くなってきている
甥っ子は甥っ子で
こうしていち人間として
外の世界と交わり関わっていきながら
彼の人生を歩んでいる
小さい頃に思いきり共に過ごした
あの時間たちが在るから
甥っ子も安心して
外の世界との関わりを持ち
社交性を学ぶという
取り組みの段階へと
歩んでいけているんだなぁと
僕は感じ思っている
健全に成長して
いっているんだなぁと
ほんわかあったかくなりがら
そんな事を感じ思う
大きくなったら 脇毛も生えて
ちんちんにも毛が生えるんだぜ~
と言うと
自分は大きくなっても
脇毛も ちんちんに毛も生えらないと
言い返してくれた甥っ子 笑
一緒になって
仮面ライダーごっこした事や
妖怪体操第一を踊った事
絵本を一緒に読んだ事
あの頃だからこそ
経験し
感じ思う事が出来た
各場面たちは
貴重な宝物
僕にとっては大きな財産です
あらためて
誕生日おめでとう
君の事をたくさんのひとたちが
思っている事を
辛いことが在ったりした時には
思い出して
これからもいい時間たちを
紡いでいってください
いつでもどんなときも
君の事を思っています
近くキングスの試合、
一緒に観に行こうな✨
写真は お手伝いをする甥っ子
当時3歳くらい
ついこのあいだのような
気がするのもまた
時間のながれは
不思議で興味深い🎉
今年もありがとう
ゆく年くる年
よいお年を
来年もしくよろです
来年もしくよろです
写真 ✨
1,3,6,7 Yukiko
9,10,11,12 Pinterest
取り組まさせて頂いている仕事の内容・詳細、
問い合わせ先です
協力のお願いがあります
にほんblog村さんの方に
参加させて頂いています
去年の秋頃からかな
クリックボタンの使用が出来なくなり
しばらく様子をみていましたら
にほんblog村さんサイドの方で
記事内に添付可能に仕様してくださり
今回再びボタンを添付出来る
運びになりました
ありがたいです
参加させて頂いている
各カテゴリーのボタンを
クリックして貰うと
ランキング集計に+されて
各カテゴリー別に表示されている
ランク内に入る
可能性が大きくなり、
目に留まりやすくなります
そうすると
必要とされている方にも
届く可能性が高く、拡がっていくかと
僕は思っています
よかったら協力のほど
よろしくお願いします ↓















