水戸黄門も、

戦隊ヒーローものも、

もしかすると今はやっているゲームも、

ある1つの同じ価値観に貫かれています。

 

それは悪を駆逐すれば、

平和になるという価値観。

 

正義こそがすべてという価値観。

 

 

 

水戸黄門では、

いつも最後には、

悪者たちに、

印籠を見せつけます。

 

「控えおろう!

この紋所が目に入らぬか!」と言って、

悪者をひれ伏させる。

 

それでも反撃している悪者を、

容赦なく成敗する。

 

そして最後の最後には、

コテンパンに打ちのめされた悪者たちの前で、

黄門さまが、

「ハッハッハッハ」と高笑いして終わります。

 

 

私たちは、

日々の生活の中で、

「正直者がバカを見る」的なストレスを抱えています。

 

だから、

水戸黄門で

悪者がコテンパンに退治されるのを見て、

スッキリするんですよ。

 

 

だけど、1969年から2011年まで1200回以上も

黄門さまが全国の悪者を退治し続けているのに、

悪者は次々出てくるでしょ。

 

まあ、あれはテレビドラマだから、

悪者を作らないと、

黄門さまの出番がなくなってしまいますからね。

って思うかもしれませんが、

現実の世界でも同じことが起こるんですよ。

 

自分は正しい人間で、

正しさこそが最も大事なことだ。

 

どんな悪も見逃さず、

悪を一掃しなければならないと思えば思うほど、

悪が生み出されてしまう。

 

なぜなら、

正しい人は、

自分の正しさを証明するために、

潜在的に、悪者を必要としているからです。

 

だから正しさにこだわればこだわるほど、

悪や敵が目の前に立ち現れる。

 

 

あなたの身の回りにいる

正しさを振りかざしている人の周りには、

いつも闘いが生じていませんか?

 

 

 

平和のために正義を貫くという価値観は、

「自分は正義の味方である」という、

これ以上ないほど自己価値を上げくれそうな、

とても魅力的な価値観です。

 

けれども、

起こることはその逆なんですよ。

 

平和どころか、闘争を生み出し、

ワンネスどころか、対立を生み出し、

愛ではなく、憎しみを生み出し続ける。

 

そして、水戸黄門と同じで、

その戦いは果てしなく続くんですよ。

 

 

それに、こっちから見た正しさは、

あっちから見れば悪だったりもします。

 

お互いに自分こそが正しいと主張し、

それがぶつかり合って、

闘いはますます激化し、

ますます平和は遠のいていく。

 

 

もしも、水戸黄門が、

印籠なんて出さずに、

自分がご老公様であるという権威を振りかざすことなく、

悪者が悪者になった背景を理解し、

やさしく聡して、目を覚まさせるという

「悟りじいさんの全国行脚」のドラマだったら、

互いに血を流さずに済んだでしょう。

 

そして、

日本はもっと早く平和になったかもしれません。

 

 

闘いが一切あってはならないとは

思いませんよ。

 

それでも、

平和は闘いから生まれるものではなく、

愛と許しから生まれるものだと思います。

 

 

長い目で見れば、

黄門さまと助さん格さんが成敗しなくても、

その人のやったことはその人に返ってくる

という、宇宙の法則によって成敗されます。

 

 

自分は正しい人間だと主張したい裏側には、

自分がありのままでは完全ではないという

自己否定が巧妙に隠されています。

 

悪を成敗したいという衝動の裏側には、

自分の人生がうまくいかないのは、

人のせいであるという、

自分の力や強さ、賢さ、宇宙とのつながりに対する不信もまた、

巧妙に隠されています。

 

 

あなたは、

そもそも必要なものはすべて持っている、

ありのままで完全な存在です。

 

わざわざ正しさで武装しなくても、

素晴らしい人だし、

存在しているだけで価値のある存在です。

 

人がどうであれ、

この人生を、

魂の歓びから創造することのできる賢くて強い人です。

 

 

そのことを、

たくさんの人たちが思い出してくれたら

いいなあと思っています。

 

 

それではまたニコニコドキドキラブラブドキドキ

 

 

 

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今朝の宇宙からのメッセージを理解するには、

 

この本が参考になるかも……。