《追憶》
以前も書きましたが
パッと出てきたり
耳にしたりすることって
私にとってのメッセージだと
思う系女子なので
文字通り人生前半の《追憶》
してみようと思います。
お時間ある方は
どうぞお付き合いください
私は産まれてから
体がすごく弱かったらしく
体力がなさすぎて
実家の階段から転げ落ちて
(しかもカーブかかってる昔ながらのやつ)
上唇小帯という上唇の中央のスジが
ブチ切れたり
2階にあがってこようものなら
今度は下に降りられないような
幼少期だったそうです
『うそつけっ!』と
今を知っている
皆さんはお思いでしょうが
とても心配されて育てられたみたいです。
そのあと引っ越しをして
たまたま近くに
全国制覇の常連柔道館が
あったのが
良かったのか悪かったのか
マンガの【YAWARA】に乗っかったのか
母は少しでも丈夫に
育ってほしいとのことで
小学生にあがる位から
入門することになりました。
そこから
すこぶるやんちゃぶりを発揮しだして
自転車で派手に転んだと思ったら
車輪のハリが膝を貫通したり
柔道の練習で
マジガチ乱取りして
小内刈りをくらったら
後脛骨筋麻痺になったりw
(笑い事じゃない)
今じゃ考えられないけど
学校の開門に合わせてボール持ってって
サッカーやって
女子が来たら
ゴム跳びする、みたいな。
高学年になったら
バスケットボールクラブにも入って
(ブルーロケッツっていう名前で
つい最近までTシャツ持ってたな)
そして
鼻血出しながら帰るっていう毎日
壮絶な追憶すぎて
疲れました...
ここで肝心なのが
小学生時代から
今の夢が決まっていたということです
昔から
特別学級にいる友だちと
接する機会があって
勉強はどうしても
別にする必要があったんだと思うけど
体育とか一緒にやらない理由が
よく分からなくて
『なんで別なんだよ』って
すごく思っていました。
でも
放課後卓球とかバスケとかすると
全然一緒に遊べる
“スポーツで繋げられる仕事をしよう“
って決意したのは
高校生位からだったと思います。
元を糺せば
母が習い事をたくさんさせてくれて
その中で柔道とバスケがあって
色んな人と関わってきたから
障がいがある人とそうでない人を
区別することに疑問が持てる
ようになったんだと思います
母と父に感謝ですね🫶
それがあったから
やりたいことは
東京だろうと福岡だろうと名古屋だろうと
1人で行ったし
行動力があったから
障がい者スポーツトレーナーも
宮城県で1番目に合格できたんだと
思います。
でも元々行動力が
あったわけじゃない
やりたいことをやるために
自分を変えるために
それなりに頑張ったんです
みんな
努力してるのです
すごいことですよね
だから
やりたいことないとか
やりがい感じないとか
悶々感じてる人たちに教えたい
【行動は人生を変える】
歳関係なくです、もちろん。
気になる公開講座に行ってみる
とか
外に出て歩く
とか
カフェ巡りする
とか
価値観が違う人と
接することが
自分の気持ちがわかる唯一の方法
なんじゃないかな、とさえ
思っています
私なんて大台に乗ろうとしてるのに
野球の勉強するために
草野球チームに入ろうと
考えてるくらいです笑
硬式のボールは購入しました⚾️笑
私より若い人なんて
もっともっと色んなことできる
はぁー
いい《追憶》ができました
いつも
ダラダラと長いブログを
ここまで読んでいただき
ありがとうございます
では、また。