こんばんは✨
「魂の望みを叶えるパートナー」矢作典加 のりか です
いつもブログをお読みいただきありがとうございます!!
数日前、朝の感謝ワークで、私は爪切りに感謝しました。
ザ・マジックの感謝ワークとは、ロンダ・バーン著「ザ・マジック」
という本に紹介されている28日間のワークで 毎朝感謝できることを10個書き出します。
「私の指先を安全に守ってくれてありがとう」
指先にありがとうを感じたら
幼い頃の記憶がふわっとよみがえりました。
小さい頃、お母さんが爪を切ってくれたよね。
優しく、丁寧に。
「お母さん、ありがとう」
指先に母の愛を感じて
指先から身体じゅうにひろがって
「あぁ、こんなふうに切ってもらっていたんだ」
と、身体記憶が蘇って
そのまま感じ続けていると
「世界は安心・安全な場所で、人は優しい」
今、そう信じられるのは
お母さんのおかげだね。
優しい愛を注いで育ててくれて、本当にありがとう。
そう思えたら
朝から愛に包まれて泣けました。
そういえば...
半年前に、こんなこともありました。
現実的な豊かさ、お金を受けとることに
一番大事なことって何なんでしょう?
それは、お母さんに愛されていいたことを思い出すこと
そんな話をきいて、思ったこと。
それは
こんな2つの質問に
置きかえることができるかもしれません。
お母さんのことが大好きか?
お母さんは私のことが大好きだと思えているか?
私には、葛藤がありました。
心の世界を探究する中で
母には、母の愛し方があり、私は愛されていた。
母の存在自体に愛されていた
と感じることができるようになりました。
そして
今、この瞬間
お母さんに愛されていたという感覚に
つながるには、どうすればいいかな、と思ったのです。
母への感謝、ありがとうを
深く感じては涙したことは、幾たびもあり
とはいえ、母への葛藤もあったから
日常的に
ああ、お母さんに愛されてるんだなって
思いながらは、生きてこれなかった暦が長かった。
朝、瞑想をしながらふと思ったのです。
喜びの中に、お母さんに愛された記憶がある
ふと
ベイビーがニコッと笑う場面がうかんでね
こんなふうに、幼かった私が笑う瞬間
こんなふうに
お母さんの愛をいっぱい
うけとって感じてたんじゃないかなって
そして、回路がつながったんです。
母の心配そうな顔が気がかりだったり
嬉しいことを話しても受け取ってもらえると
感じられなかったり
そうそう
たまたま、実家の整理をしていて
小学校3年生の時の作文を見つけました。
そこには、こんなことが書いてありました。
小学校3年生の時に
人生でたった一度だけ、リレーの選手に選ばれました。
家へ帰って母に
リレーの選手か補欠かどっち?
と聞くと、母は
どうせ、補欠なんでしょう、と言い
ちがう、リレーの選手! と私は言ったと。
その時の気持ちを
作文に書いていないのだけど、読み返した私は、、、
えええーーーー
ぜったい嬉しそうやったはず
なのに、どうせ補欠でしょって
ひどーーーい、と思ったのでした。
その時
言えなかった気持ちを今なら、感じられる。
さらりと書いていたけれど
そして母には悪気はないのだろうけど
こんなふうに
わたしの嬉しい気持ちは
うまく伝わらないことも多かったし
成績が良いことを
喜んでいることは、静かに伝わっていたから
何かができることで
愛されていることを
確かめようとしたかもしれなくて
いや、きっとそうで
でも、もっと前に遡ってみたならば
私がにっこり笑う時
私が寝返りできたとき
私がお口をあけて食べられた時
私が立った時
私が歩いた時
私が言葉を話した時
そう思うと
私の身体は、お母さんの笑顔を思い出した気がして
カラダ中の細胞が
お母さんの愛を覚えてるんだ。
そんなふうに思えてきて
笑顔になるとき、嬉しいとき
よろここびの中にあるときには、いつも
お母さんの愛が
あるんだ、と思えたのでした。
よかった。思い出せて...
思い出そう
いつも愛されていたこと。
もしも
あなたが
お母さんに愛されていたと
思うことに
むずかしさを感じていたら
なにかの
きっかけになるといいなと思います。
そして
もしも
いやいや、絶対ムリ
思えません、という時も
あきらめないでほしい。
その時は
お母さんの愛を思い出すよりも
やりすごしてきた
あなたの気持ちを
救いにいくほうが
先なだけ、だから。
のりか
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