助けて、と言っていい。
そんな私は、封印しなくてはいけない。
そんな私を、知られたらヤバイと思っていたけれど。
私は1歳の時に、祖母に父を託された、と書いた。
もちろん、ずっとそう意識して生きて来たわけじゃない。
自分とのつながりを深める中で
ある時、映像、音、体感が、やって来て
そう感じた。
そして、しっくり来た。
人生の流れと選択をする場面が訪れて
私は父の会社を手伝うことにした。
それをするしか、道がない。
(と当時の私は思った)
家族として、娘としての選択だった。
父の会社を手伝う、というフレームの中で
沢山の様々な経験をさせてもらった。
それは、ギフトで財産だ。
その中で私は、父に守られてもいた。
幼い頃から
何か、私はこれがしたいんだ!
ということが見つかると
お金、を理由にダメと言われたことを
何度か経験していて。
私は、自分を生きるということに
大好きなことをする
それを実現するために
男性性(父も母も)からの
サポートを受けられない。
という信念ができあがっていた。
(サポートされたことも
たくさんあると今では
知っています)
一人でちゃんと何でもできることを
よしとする振る舞いを身につけ
そうやって生きて来た。
(主観です、笑)
父の人生を生きる、という
フレームの中で
それは機能していた。
2年前の夏、父が亡くなって
私は、ようやく
父の仕事を手放すことが出来た。
そして今
こうして感じているのは
魂の願いとつながった時
それを仕事としていくときに
過去のパターン、その振る舞いに
戻りたくはない
けれど、どうしていいか
わからない
進もうとして、進めない
そんな状況を作っていた。
そして
内側の男性性のサポート
外側の男性性のサポート
私は、それを求めてもいいのだ。
そしてそれを与えられてもいいのだ。
というところに
ようやく導かれた。
最悪ーー!と思ってもいい
自己嫌悪に陥っても十分な出来事とともに。
過去の私なら
一人で何とかしようとしただろう。
不安と恐れのなかで
それを感じないように
気持ちを閉じ込めて
大丈夫を装って。
そして、実際大丈夫だったのだ。
過去のフレームの中で
私は、私の女性性を脇に置いて
男性性を発動し
そこからコミットしていたから。
怖くなかったし、自信もあった。
けれど
その過去のフレームは外れ
もはや、別人レベル。
私の女性性を思う存分自由に
させてあげると
そちらにコミットした時
私の中に、ジェントルな男性性が現れて
女性性のために全力を尽くすという。
そうすると
世界もそのように
見られるようになった。
一人じゃなくていい。
一人で出来なくてもいい。
助けて
そう言っていいんだと。
(2018.12.27 FB投稿より)
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