大統領より有名なインドネシア人 | 和太郎のチェンマイ逃亡記

和太郎のチェンマイ逃亡記

約20年のサラリーマン生活から脱落、無職で常夏の国の生活
に憧れ2008年11月インドネシアのバリ島へ移住し11年滞在、
インドネシア人気質が嫌いで脱出を決意、2019年10月タイの
チェンマイに引っ越し、穏やかな国民性と街の心地良さが気に
入り住み着いてしまった。

インドネシアの新大統領に72歳のプラボウォ国防相の当選が確実、

 

任期は2024年から5年間、有権者2億人のインドネシアで選挙が

 

たった1日で行われたのが驚異的である。

 

 

選挙管理委員23人が過労死、遺族には補償金が3600万ルピア

 

₍約330万円)と葬儀費用が払われるが、交通事故の死亡保険金が

 

平均50万円と言われるインドネシアでは高額と言える。

 

 

現職ジョコウィウィドド大統領が任期10年で退任となるが、日本

 

で有名になったのは、ジャカルタ高速鉄道の日本が作った設計図

 

を中国に横流しした事件と昨年の天皇陛下ご訪問時の報道程度、

 

インドネシアの大統領は誰と聞かれたら、スカルノまたはスハルト

 

と答える日本人は今も多いはず。

 

 

そんな中、大統領より有名なインドネシア人と言えばデヴィ夫人

 

こと、デヴィ・スカルノ氏(日本名は根本七保子/ねもとなおこ)、

 

インドネシアのスカルノ元大統領の第3夫人である。

 

 

↓デヴィ夫人(20代の頃)

 

 

1959年(昭和34年)19歳の時、人口2億6400万人のインドネシア

 

への開発援助に伴い、東日貿易の秘書としてインドネシア建国の父

 

スカルノ初代大統領のもとに送り込まれたとの噂で、当時の日本の

 

工作機関(スパイ組織)の児玉誉士夫氏が関わっていたとのこと。

 

 

和太郎はデヴィ夫人の名言『愛はお金で買える』が好きである。