【八王子市】日枝神社(1) | ぼっちあるき

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歩きながら考えてみた

日枝神社にやって来ました。

 

 

日枝神社は、大山咋神(おおやまくいのかみ)を祀っていた日吉大社から勧請を受けた神社です。都内では赤坂(所在地は千代田区永田町)の日枝神社が有名ですね。

 

大山咋神は日枝山(ひえのやま/滋賀県)の地主神で、ここに最澄が延暦寺を建てて天台宗の守護神とし、後に三輪山(奈良県)の大物主神(大三輪神/大国主神)も合祀されました。延暦寺では両神を山王と称した為、今でも「山王さん」(山王権現)と呼ばれることがあります。

 

日枝山は後に比叡山と呼ばれるようになり、今では日枝を「ひえ」と読むことはなくなりましたね。日吉も「ひえ」と読んでいたのですが、終戦後に「ひよし」が正式名称となっています。

 

 

近付いただけで水が出てきた手水。関根神社では手をかざすと水が出る手水がありましたが、これはその上をいく人感センサーですね。神社にハイテクが導入されているのも、日本らしいっちゃ日本らしい。インバウンド観光客もびっくりでしょう。

 

 

正面上にセンサーがありました。防犯カメラはよく見かけるけど、手水の為にセンサーを導入するって凄いですね。感染対策なんだろうか。なんかそんな気がするな。エスカレーターの手摺なんて、清掃員がしょっちゅう磨いてますもんね。この国は無菌社会でも目指しているんだろうか。

 

僕も思春期の頃は潔癖症でしたけど、周囲にアレルギー持ちの人が増えていくのを見て、「こりゃあ免疫だよな」と思い、潔癖症は改めました。幸いというか、子どもの頃は野原を駆けずり回っていたので、生き物や土にはさんざん触れており、免疫力は高い方かと思います。ワクチン未接種でもコロナ罹患しなかったしね。

 

 

賽銭箱の上に、無人販売方式のおみくじの箱が載っていました。この販売方法だと、お金を入れずに持ち去る人もいるかもしれませんが、「そんな事をしたら罰(ばち)が当たる」というのが日本人の常識です。「お天道様が見てます」からね。

 

 

拝殿の奥は、幻想的かつ荘厳な雰囲気です。こういった場が、日本には各地にある。その事実が、日本人の精神性を高めているのかもしれません。

 

何か特定の思想に頼るのでは無く、自然に感謝し、自然の恵みに感謝し、無事を祈る。それは生ある物としての感謝であり、その姿勢から謙虚という心構えが生じる。

 

生きることに絶望した時って、生きてることに感謝することなんて出来にくい。謙虚って言うけど、謙虚ゆえに損ばかりしてしまった。もうどうでもいい。生きるのは辛過ぎる。消えてしまいたい。

 

そんな風に思うことが、僕にもありました。「なんで自分ばっかりこんな目に遭うんだろう」とかね。ただそれって他人との比較で、他人軸で生きている。もっと絶対的な自分軸を持って生きれば、周りがどうであろうが関係ない。

 

とまぁ言葉にするのは簡単だけど、実際生きていれば否応なしに他人が目に映るし、自分一人では出来る事に限界もある。自分軸で生きると言っても、ジコチューでは生きていけないから、どうしたって他人の力は必要になる。

 

ちょっとエゴな発言になるけど、自分軸で生きるのって、「自分の為に他人に動いて(協力して)もらう」ことだと思っています。他人を比較対象にするんじゃなくて、協力してもらう仲間として認識する。大勢の力が必要なら、多くの人を巻き込めるようにお願いする。

 

だから僕は、たとえ上司であっても、命令する人は敬遠しています。自分が上司の立場にある時は、必ず「お願い」(依頼)するようにしています。それって結果的には、自分の為なんですよね。自分軸で生きるのって、そんな感じかなぁと今は思っています。

 

 

境内社のお稲荷さんです。正一位だったり、狛狐が立派なのは関根神社と同じですね。

 

次回も境内探索が続きます。それではまた!