【茅ヶ崎市】御霊神社 | ぼっちあるき

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歩きながら考えてみた

御霊神社にやって来ました。

 

 

車の通行も少なく、静かな住宅街に佇む御霊神社。円柱型の郵便ポストは、江戸期の人からすれば「なんじゃこりゃ?」ですが、現代の我々にはレトロに感じられますね。通信手段のツールとして見れば、嘗てのメールサーバーと言えるでしょう。ま、ポスト自体は今も現役ですけどね。

 

 

参道に地神(ジジン)塔がありました。神奈川県ではポピュラーですね。祖霊神でもあり、土地神でもあり、農耕神でもある地神(ジガミ)。元々は大地の神ですが、道教や仏教の思想を習合した形で祀られています。元禄期から明治期までに多く造立されていますが、大正期以後は廃れてしまったようです。

 

 

御霊神社は、無念の死を遂げた人の怨霊を鎮める為に祀られた神社です。ここには鎌倉(権五郎)景正と源義経が祀られています。景正は大庭景義が祖霊を祀ったもので、義経は言わずもがなですね。

 

義経の怨霊は、頼朝の落馬の際に現れたという言い伝えがあります。亡霊を見た馬が暴れて棒立ちになり、頼朝が落馬し、それが原因で亡くなったと言われています。真偽のほどはともかく、それほどまでに人々は霊の存在を恐れていたことが分かります。

 

天神様もそうですね。怨霊が御霊となるよう、従二位右大臣だった道真には、死後に正一位太政大臣の官位が贈られています。疫病も怨霊の仕業と考えられていたので、御霊信仰が発展して祇園信仰にも繋がっていきます。

 

なお、古代の屈葬も、死者の霊が災いをもたらさない為に行ったという説もあります。人間には魂があるという捉え方は、今も昔も変わっていないのでしょう。魂に実体があるとは思えませんが、今でも「魂の重さは21gだ」なんて言いますもんね。

 

 

稲荷社に案内板が設けてありました。なんかカワイイ。

 

 

武運長久は合格祈願や願掛けに繋がるとのことで、勝ち絵馬が販売されています。

 

現代でも戦争はあるし、そこには勝ち負けがあるんでしょうけど、僕は勝ち負けってゲーム(遊び)の中のワードだと思っているので、実社会でこの言葉を使うのは好きではありません。勝ち組負け組とかね。人生はゲームじゃないでしょって感じです。

 

例えば選挙なんかでも、必勝ダルマに目を入れて万歳をし、勝った負けたとやっていますけど、選挙って多くの信任を得たか否かであって、勝ち負けじゃないでしょうにって思っちゃう訳です。

 

まぁね。こういうこと言ってると「変人だ」と指を差されるだけなので、リアルでは言いませんけどね。ただ、勝ち組だの負け組だのと言ってる人とは、距離を置くようにしています。あまりにも価値観が違い過ぎるからです。しつこいけど、人生に勝ち負けなんてないと思うんですけどね。

 

 

御霊神社の裏手にある西運寺へ向かいます。神仏分離の前までは同じ境内にあったお寺です。写真は、途中にあった駐車場の傍で見つけたお稲荷さんです。南湖界隈を歩いていると、多くの屋敷神を見かけます。それだけ代々続いている家が多いんでしょうね。

 

そんな訳で、次回は西運寺を訪ねます。それではまた!