【川崎市】香林寺(2) | ぼっちあるき

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歩きながら考えてみた

香林寺に来ています。

 

 

綺麗に掃き清められた庭園の砂を踏まぬように、石像が並ぶ所へ近付いて来ました。いきなり庚申塔を発見。これってお猿さんの像(聞かざる)にしか見えませんが、両サイドにもお猿さん(見ざる・言わざる)が浮き彫りされています。

 

烏山神社(世田谷区)にも同じようなものがありましたが、こちらは笠付の立派な庚申塔ですね。そもそも庚申講は道教由来で、庚申の夜に天帝に悪事を告げにいく三尸(さんし)という虫がいて、それは人間が寝ると体内から出てきます。だから寝ずに過ごそうという信仰なのです。

 

で、仮に三尸が体内から出てしまっても、青面金剛という夜叉神がそれを退治してくれる。だから青面金剛像を祀っていた訳です。そこからだんだん装飾が増えていって、徹夜するから上部に日月を彫ったり、無事に朝を迎えれば鶏が鳴くので、鶏を二羽(駄洒落?)彫ったりしていきました。

 

さらにはショケラという、人間に災いをもたらすという女人の姿をした魔物を青面金剛に掴ませて、悪事を働かないようにした。

 

そもそも庚申塔は、幾度か庚申の夜を乗り切った記念に建てられたものなのです。それは人々の目に付きやすい場所に置かれたので、いつしか道祖神的な役割を持つようになった。人の往来が多い場所って、つまりは交通の要衝なんですよね。

 

そうなると猿田彦の出番となり、それでお猿さんが彫られるようになる。というのはあくまで僕の個人的な見解です。庚申の「申」からの連想という説もあり、案外そんなきっかけかもしれません。ただこうして三猿だけ彫られていると、それが庚申塔なのかは分かりにくいですよね。

 

実際、三猿自体は古代エジプトやアンコールワットでも見られるもので、シルクロード経由で日本に伝わったとも言われています。「見ざる言わざる聞かざる」って日本的な感じがするけど、絵文字(🙈🙊🙉)にもなってるし、世界的にも知られた存在だったりします。

 

これに「せざる」を加えた四猿とする地域もあります。この「せ猿」は股間を抑えており、ひょっとしたらそれがショケラの起源だったりするのかもしれません。「媾うな」という意味で、半裸の女性像なのかなぁと。全部私見ですけどね。ある意味考古学なので、面白いですよ。

 

 

こちらは三界萬霊塔の側面です。三界とは「欲界・色界・無色界」を指し、輪廻転生する衆生を三つに分けた世界のことです。「過去・現在・未来」と捉えても差し支えないでしょう。生命の宿るあらゆる万物を供養する目的で建てられたものです。

 

側面を撮ったのは、「武州橘樹郡稲毛領細山村」と刻まれていたのが目に留まったからです。武州は武藏国の別称で、橘樹(たちばな)郡は嘗て神奈川県にあった郡です。稲毛領(稲毛荘)は当地を治めていた稲毛氏を指し、スーパーの名前(いなげや)で今も残っていますね。

 

なんだかとても長い地名のように感じますけど、現在の地名は「神奈川県川崎市麻生郡細山」なので、今の方が長かったりします。

 

 

香林寺の本堂です。大永五年(1525)の創建時には、高林坊と号していました。武州稲毛七福神の布袋尊が祀られているとのことですが、堂宇が見当たらないので、本堂に納められているのでしょう。そういえば潮音寺の七福神(福禄寿)も、外には出てませんでした。

 

 

天水受に北条の三つ鱗。稲毛重成の妻は北条政子の異母妹なので、姻戚関係にありました。重成は畠山重忠の謀反をでっち上げたとして、三浦義村に誅殺されています。このエピソードは一昨年の大河ドラマで描かれていたので、記憶に新しいかもしれません。

 

 

鹿威しがありました。手前の石がハート型に見えるので、インスタ映えするかも。動画回したんですけど、なかなか「コーン」って鳴らないので、断念(本日2回目)しました。

 

 

郵便制度は過渡期を迎え、文書を宅配するというシステムの維持が難しくなってきています。もうラブレターなんて流行らないし、そもそも文字を書くんじゃなくて「打つ」(入力する)ようになりました。パケットも本来の小包の意味は失われつつあります。

 

とはいえ、ビジネスではFAXが根強く残っているように、文書の存在も無くなってはいません。これは新聞配達に似てますね。情報を文書化して紙に印刷し、人の手で配達するのはアナログなシステムなのですが、そう簡単には廃れない。故に過渡期と言えるでしょう。

 

次回も境内探索が続きます。それではまた!