【新座市】旧川越街道 | ぼっちあるき

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歩きながら考えてみた

朝霞市から新座市へ入ります。

 

 

ちょうど市境になる道(右手)を歩いてきましたが、三叉路の真ん中に庚申塔が見えてきました。場所的にも道の曲がり具合からも、建てられた当時からこの場所にある物と推測されます。いわゆる道祖神的な役割と、道標的な役割を兼務している感じでしょうね。

 

 

庚申塔に近付いてみました。野晒しなだけに、相当傷んでますね。自動車の排気ガスも大量に浴びているので、煤けたような色合いになっています。

 

こうして風化して、いつかなんだか分からなくなってしまうんだろうなぁ。それはでも、路傍のお地蔵さんも同じ運命だから仕方ないか。長い年月を経た庚申塔の姿を見ると、「今を生きる」って大事なことだなと改めて思ったりします。少しずつだけど、確実に諸行無常なのです。

 

 

三叉路の左手の坂を上っていきます。黒目川が削った低地は幅が狭く、再び武蔵野台地を上っていく感じです。なかなかキツイ坂ですが、頑張って上って、旧川越街道へと向かいます。

 

 

旧川越街道に合流して左(西)へ曲がると、六地蔵の並んだ簡素な堂宇があります。六地蔵は享保十七年(1732)の造立で、300年近くもこの地にあるものです。この写真の右手には、正徳四年(1714)製の立像地蔵菩薩もあります。注目はやはり、左端の庚申塔ですね。

 

 

宝暦六年(1756)造立の庚申塔ですが、「なんかこんな人見たことある」って顔の青面金剛ですよね。元は夜叉なんで、あんまり人っぽい顔のものは無いんですけど、いますよね、こういう顔の人って。

 

 

ショケラです。はっきりと分かるものは数多くないので、かなり保存状態がいい庚申塔です。そもそもオリジナリティ豊かなのが庚申塔の特徴なので、ショケラを握っていない青面金剛像も多いのです。主な情報伝達が口伝だったこともあり、半裸の女性というショケラの定義も怪しく、これは妊婦のようにも見えます。

 

ショケラは障碍(しょうげ)という仏教用語から、障碍等(しょけら)と呼ばれるようになったとされています。人間に災いをもたらす存在なので、ショケラを三尸(さんし/天帝に悪事を告げに行く虫)とする説もあります。ただそれだと、なんで半裸の女性なのかが分からない。

 

僕はショケラって、庚申の夜に媾うことを諫めるための存在なんじゃないかなと思っています。女性の裸って性の象徴なんじゃないかと。女性に対して、例えば暑い夏の夜だとしても、無闇に肌を出すなという戒め。そしてもちろん、それを見た男性は欲情してはならぬという戒め。

 

庚申の夜は徹夜をする訳ですが、何もしていなければ当然眠くなります。だからどんちゃん騒ぎをするようになったのですが、中にはこっそり媾う男女もいたことでしょう。それを戒める為に、「庚申の夜に出来た子は泥棒になる」とも言われていました。

 

要は不謹慎で「けしからん!」ってことです。ホントは月待講よろしく、粛々と過ごせって意味合いだったのかもしれません。いまだ謎の存在であるショケラですが、案外そんな理由じゃないのかなぁと思っているのです。

 

次回はこのまま旧川越街道を歩いていきます。それではまた!