【朝霞市】一乗院閻魔堂 | ぼっちあるき

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歩きながら考えてみた

一乗院閻魔堂にやって来ました。

 

 

ここは持明院の大日堂があった場所で、持明院が廃寺となった後、一乗院の境外仏堂となりました。「閻魔寺」という寺号碑が建てられていますが、一乗院の寺号は平等寺です。一乗院の管轄となったのは昭和17年(1942)で、奥に見える八角堂もまだ綺麗ですね。

 

 

境内へ入るとすぐの左手には、仏像がずらっと並んでいます。例によって赤い涎掛けが一律に掛けられています。観音様もいるけど、境内のほとんどは墓地なので、六道を彷徨う衆生を救って欲しいという気持ちの表れでしょうか。

 

 

右手にもたくさんの石像があります。一番右の如意輪観音には、色褪せた赤い涎掛けが掛けられていますが、さすがにそれ以外は違う(お地蔵さんじゃない)と思ったのでしょう。ちなみに庚申塔も二基(青面金剛像と三猿のみのもの)あります。

 

ホントは八角堂の中も覗いてみたかったけど、なぜかおじさんが正面に居座っていて微動だにしません。近付いて絡まれるのも嫌なので、退散します。中には閻魔様の他に薬師如来や馬頭観音、正塚婆(奪衣婆)に大日如来も祀られているとのことです。

 

 

黒目川に架かる大橋を渡ります。さっきのおじさんが何者かは分かりませんが、高齢化に加えて単身世帯が増えている現状では、何処にお爺さんやお婆さんがいても不思議ではありません。国の試算では、2033年の日本の平均世帯人数が1.99人だそうで、もはや単身世帯は普通になっていくのです。

 

高齢者に限らず、単身者がなんとなくうろつく姿は、今でも珍しくはありません。まぁぶっちゃけ僕だって、他人から見れば「何やってんだアイツ?」って感じだろうし。

 

変な言い方だけど、若年世代は家に引きこもる傾向なのに、高齢者はやたら外を徘徊します。その徘徊先も、賑やかなのが好きな人は街へ繰り出すし、静かなのが好きな人は神社やお寺へ行く。共通しているのは人に絡むこと。

 

おそらくは、日々を誰とも話すことなく過ごす人が増えている。買い物をしたって、レジの無人化が進んでるし、人が応対しても愛想のない店員も多い。だったら、話しかけやすそうな人に声を掛けてみようって感じでしょうか。

 

話し掛けるくらいなら別に問題ないけど、なにせ話したい事がたくさんあるから、言い方悪いけど捕まったら長くなってしまう。それは経験上間違いない。だから避けるのです。誰にも相手されないからって、雑踏で「ぶつかりおじさん」をやる人もいるから、いずれにしても自己都合なんですよね。

 

もちろん、「人の振り見て我が振り直せ」なんでしょうけど、僕はそもそも自分から人に絡むことはないのです。相手の時間を奪うのは嫌だという意識は、イコール自分の時間を取られたくないという意識です。総じて、自分がされて嫌なことは人にもしない。だから人に干渉は絶対しないのです。

 

 

また気温が上がっています。でも時折風が吹くので、それほど暑さは感じません。ただ間違いなく、コートを着て歩くのはこれで最後でしょう。日の入りも遅くなったし、これから探索シーズンも本番です。春は天気が安定しないので、後は休みと晴れが重なることを祈るのみです。

 

 

新座市との市境に入りました。この道路が境目になっています。つまり「朝霞市」の看板の後ろが朝霞市で、道路を挟んで向かい側が新座市です。新座には以前、清瀬市を探索した時にも少し歩きましたが、本格的には探索したことがないので、いつかちゃんと歩いてみたいですね。

 

そんな訳で、次回は新座市を歩きます。それではまた!