【朝霞市】ひざおり通り | ぼっちあるき

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歩きながら考えてみた

朝霞市役所から市役所通り(県道79号線)を西へ歩いていきます。

 

 

市役所通りは、城山通りと交わる本町1丁目の交差点から「ひざおり通り」となります。膝折は朝霞の嘗ての地名で、川越街道の膝折宿があった名残を感じることができます。東武東上線の朝霞駅も、昭和初期(1932年)までは膝折駅と呼ばれていました。

 

 

「ひざおり通り」の標識が立っている場所はY字路になっており、分岐点には煙草屋さんがあります。「たばこ」「はんこ」の看板が昭和感満載ですね。

 

煙草は1985年まで国による専売(独占販売)となっていたのですが、今はもう「専売特許」という言葉が比喩的に使われるくらいになっていますね。

 

判子も書面のデジタル化によって、その存在が薄れてきています。まだ移行期かとは思いますが、裁判所が押印不要になる頃には、日常的な利用はなくなっているでしょう。「上司の印に向かって頭を下げるように押印しなさい」なんてビジネスルールもね。

 

 

以前にも紹介したように、膝折という地名は「賊から逃れてきた小栗助重という武将の乗った馬が、当地で膝を折って死んでしまった」ことに由来するとされています。小栗は後に出家して宗湛という画僧になりますが、この故事を裏付けるようなもの(馬頭観音とか)は見当たりません。

 

膝折や肘折、あるいは脚折といった地名は各地に残っており、黒目川に向かって蛇行しながら下っていく道の感じからすると、いわゆるゴルフコースのドッグレッグのような意味合いかなぁとも思います。

 

由来はともかく、ユニークな地名であることには変わりありませんし、遅かれ早かれ、「縁起が悪いから改名せよ」というムーブメントは起こったかもしれませんね。それでもこうして朝霞市の地名として残っているのは、国の連続性の証明ともなり、大事なことだと思うのです。

 

 

ひざおり通りを南西へ下って行き、末無川の交差点で右(北西)へ進路を変え、県道から外れて住宅街へ入り込みます。途中で遭遇した「膝折町1丁目児童遊園地」が目に留まりました。こういう場所は、僕の勝手な定義によるとタイムリープが出来るスポットなのです。

 

 

カエルの水飲み場。アニメ的な世界観だと、このカエルは喋るはずです。そして主人公に、「そなたが為すべきことを果たせ」と語り、異世界へといざなうのです。

 

あ、もちろん喋りませんよ。ただ、こういう誰も来ない小さな公園って、その存在自体がタイムマシンのように感じるのです。人々の憩いの為に設けられた場所なのに、もはや存在を忘れられてしまっている。それは別な見方をすれば、人々に避けられているとも言える。

 

 

例えば今ここで僕が消えたとしても、誰も気付かないし、バタフライエフェクトすら起こらない。ドラえもんの5億年ボタンじゃないけど、精神だけが異世界へと旅立ち、物理的な僕には何の変化も起こらない。いわゆる白昼夢のような状態。

 

そういうのって、経験ありませんか。一般的な言い方をすれば、誰かに呼びかけられた時に気付かず、「ぼーっとしてた」ような時間。「もう!しっかりしてよ!」なんて言われて、「あぁごめん」みたいな。

 

時間はそんなに経っていないのに、何か途轍もない経験をしていたような感覚。僕にはあるのです。それも一度や二度じゃない。だからいまだに、どっちが現実なのかは曖昧なのです。これは寝る時に見る夢にも同じ事が言えて、それを僕は「脳のデフラグ」と定義しているけど、果たして本当にそうなのか。

 

そんな訳で、こういう無人の児童公園には惹かれるのです。厨二病って言われればそれまでですが、この感覚(シックスセンス)は大事にしたいと思っています。

 

次回はやっと庚申塔に辿り着きますよ。それではまた!