【八王子市】時の鐘 | ぼっちあるき

ぼっちあるき

歩きながら考えてみた

八王子城山線を挟んで、金剛院の向かい側にある天満神社へ向かいます。

 

 

祭神はお馴染みの菅原道真公。受験シーズンも結果が出揃う時期になったこともあり、境内は閑散としています。

 

孟母三遷の昔から、お母さんはお受験が大好きです。ただ当然のことながら、親の期待通りにはいかないケースも多々あります。

 

そこからというか、そこでというか、親子関係に亀裂が入ったりする。でもそれはずっとひび割れていたのかもしれない。子は親の期待に応えようとするので、いびつな関係だったとしても頑張る。あるいは、子ども故にそれがいびつだなんて分からない。

 

学歴って、頭の良さの指標のように認識されていると同時に、アッパーミドルの証明書みたいな役割を果たしているように思います。「普通だけど、普通よりはちょっと上よ」って感じの意識。さりげなく自慢できる肩書ってイメージ。

 

能ある鷹は爪を隠すので、賢い人はそんなマウントはしないのです。だからこそ、アッパーミドルなんだろうと思っています。それは価値観の話になってくるので、特に共感も批判もしません。

 

ただ、受験の合否で親子関係が崩れてしまうのは残念だなぁと。残念だけじゃ済まなくて、そこからひきこもりやニートの問題も派生してくる。青春のプライオリティを受験第一にしてしまった弊害も出てくる。既に社会問題化してますよね。

 

メディアに出てくる、世間的には「立派な」肩書の学識経験者や専門家が、コロナの時に何を言っていたか。食べる時だけ片手でマスクを取りましょうとか、僕からすると正気の沙汰とは思えないことをマナーだと言っていました。

 

でもそれに大多数の人が従った。中には頑張って勉強した人も大勢いただろうに。学問は人生のツールになり得るけど、理屈をこねくり回しているだけでは机上の空論です。それはコロナに限らず、色んなシーンで炙り出されています。

 

そこに気付くのが知性なんじゃないかなぁと。まぁモノローグですから、気に障ったらスルーしてください。

 

 

道真公と言えば梅ですよね。「東風吹かば匂ひ起こせよ梅の花 あるじなしとて春な忘れそ」と詠まれ、匂いだけじゃなく梅の木そのものが大宰府へ飛んだという飛梅伝説。陰陽師が政治を動かす時代ならではの信憑性があります。

 

 

道真公は没後に正一位太政大臣となっていますが、晩年が不遇であったことは周知の通りです。学問の神様をも凌ぐ政治力を持った者がいたとも言えるし、洞察力に基づいた危機感に欠けていたと言えるかもしれません。かといって純粋に学問を究めただけなら、ここまで後世に名を残すことはなかったでしょう。

 

これって現代社会の生き方に、多くの示唆があると思うのです。人間に嫉妬心があるのは、洋の東西や時代を問わず厳然たる事実です。また、ジャンヌダルクや天草四郎のように、ヒーローやヒロインは悲劇性が伴うことで支持を受ける。赤穂浪士もそうですね。

 

「普通に」皆と上手くやっていくのであれば、アッパーミドルという選択はアリなのかもしれない。そこから降りることで、不要な嫉妬を回避した生き方もアリかもしれない。いずれにせよ、他人の生き方をとやかく言うのは野暮ってもんです。常に自分の選択を尊重して生きていきたいものですね。

 

 

天満神社の隣には念仏院があり、ここには八王子市指定の有形文化財である時の鐘が建っています。元禄十二年(1699)の建立という貴重なものなのですが、正面は駐車場として使われていたので、バックショットとなりました。同じ時の鐘でも川越とは大違いです。なんか、もったいないですね。

 

 

すぐ傍に中央線の踏切があるんですけど、金剛院の角にお稲荷さんが見えたので、再び都道を渡って来ました。笠間稲荷のようです。天満神社は金剛院の境内社だったとのことなので、こちらもそうでしょうね。

 

 

電車が来たので、例によって条件反射の如く撮影したら、電車と競争してる人が写り込んでいました。ジョギング中だったのか、ただ急いでいただけなのかは不明です。こういうのって、場所が場所なら、撮り鉄ブチギレなシーンなんでしょうね。それもまぁ「なんだかなぁ」って感じですけどね。

 

次回は少し東にあるお寺を訪ねます。それではまた!