【稲城市】杉山神社 | ぼっちあるき

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歩きながら考えてみた

天神通りを下って杉山神社にやって来ました。

 

 

素戔嗚(スサノオ)の子である五十猛神(イタケルノミコト)を主祭神とする杉山神社は、鶴見川水系沿いを中心に広がったと考えられています。武蔵国(東京と埼玉)にやたら多い氷川神社が、荒川水系沿いに広がったのと似たような感じです。

 

その為、横浜や町田ではポピュラーな神社ですが、全国的には「何の神様?」というリアクションになるでしょう。なんか個人名みたいですしね。五十猛神は林業の神であり、土の舟を造って海を渡ったという神話から、造船と航海安全、そして大漁の神として信仰されています。

 

 

蒼い幟には「開運厄除け 勝利・縁結びの守護神」と書かれており、林業も造船も関係なさそうですが、気にしないことにしましょう。それよりこの階段ですよ。これだけの高台に創建したってことは、由緒ある神社だったのでしょう。

 

 

「滞留」に意味が書かれているのは、居座る人に伝わらなかったからでしょうか。神社の石段に座り込む人って、時折見かけます。若い人は滅多におらず、ほとんど高齢者(主に男性)です。商店街、駅前、公園のベンチ、神社へ行けば、間違いなく高齢者に遭遇します。人恋しいんでしょうか。目的を持って歩いているというより、なんとなく徘徊してる人が多い印象です。

 

いや、別にいいんですよ。子どもに向かって「マスクしろ!」とか言わなければ。なんかね、話しかけたいんだろうけど、口を開くと上から目線なので、避けられるんだと思うんですよ。元気な高齢者が増えたのは良い傾向なんでしょうが、昔みたいな好々爺って見かけなくなりましたね。

 

 

階段を上がると、今度はコロナです。もういいって。1歳児が接種して2日後に亡くなったっていうニュースとか見ないんだろうか。コロナが死因じゃないでしょ。明らかにワクチンですよ。そもそもスパイクタンパク質の設計図(RNA)を体内に取り込むなんて、僕には正気の沙汰とは思えないのです。

 

 

平尾の鎮守社だった杉山神社は、大正8年に八坂神社と日吉神社を合祀しています。その為こちらの祭神は、日本武尊、弟橘姫命、須佐之男命、猿田彦命となっています。日本武尊と弟橘姫命は夫婦ですが、猿田彦も祀られているんですね。

 

牛頭天王は神仏分離の影響で素戔嗚になったのしょうが、山王権現(大山咋神)は何処いっちゃたんだろう。そして何故に猿田彦なんだろう。境内には道祖神も庚申塔も見当たらず、謎の多い神社です。杉山神社自体、そもそも謎の神社なんですけどね。ちなみに宗教法人として登録されている杉山(椙山)神社は、全国に44社しかありません。

 

 

横から見るとこんな感じです。境内が殺風景なので、建物の特徴がよく分かります。本殿は稲城市指定文化財になっています。案内板には、延宝四年(1676)の建立と書かれています。347年前のものとは思えない美しさを保っていますね。殺風景なのは、火除の為なのかもしれません。木に落雷して火災が発生することもあり得ますしね。


次回は平尾に遺る歴史を訪ね歩きます。それではまた!