【八王子市】武蔵陵(2) | ぼっちあるき

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歩きながら考えてみた

武蔵陵の敷地内に入りました。

 

 

う~ん。まぁアレですね。柄杓の水を直接口に含む人がいますからね。それはコロナとは関係なく、公衆衛生って考えればいいですかね。なくても困らないと言えば困らないし。宮内庁を責めるつもりはないけど、ホントこのコロナ狂騒曲はいい加減にして欲しいですけどね。

 

 

参道には、京都から取り寄せたという北山杉が並木道を作っています。造営当時(1927年)には4~5mだった木立は、百年の時を経て20m以上の高さになっています。閉門は午後4時ですが、ここを夜歩くのは怖いですね。

 

今もヒグラシがカナカナと大合唱していて、物悲しい空気を醸し出しています。「カナカナカナカナ西野カナ」なんて冗談(オヤジギャグ)が言える雰囲気じゃありません。

 

 

警察官の詰所があります。無人ですが、行事の際には物々しい雰囲気になるのでしょう。何もない今日でも、敷地内では警察官が巡回しています。とてもじゃないけど「ポリ来た真希」なんて冗談(オヤジギャグ)を言える雰囲気じゃありません。

 

 

昭和天皇武蔵野陵です。「むさしのりょう」と呼んでも差し支えありませんが、正式には「むさしののみささぎ」です。陵形は上円下方墳で、これは天智天皇陵(御廟野古墳)に倣って造られたとのことです。古墳というと前方後円墳がお馴染みですが、上円下方墳は円形のドームの下が方形になっています。

 

 

こちらは武蔵野東陵です。香淳皇后の墓地です。海の王子と共に渡米した元皇族が何かと世間を騒がせていますが、香淳皇后は婚前に「母系の島津家に色盲の遺伝があるから皇太子妃として相応しくない」という理由で、元老の山形有朋に婚約辞退を迫られています(宮中某重大事件)。

 

 

大正天皇多摩陵。病弱だった大正天皇は、即位後に健康状態が悪化し、42歳の時に昭和天皇(当時20歳)を摂政として療養生活に入っています。それから5年の後に崩御している為、大正は15年で幕を閉じました。なお、昭和天皇は摂政時代(当時22歳)に虎ノ門で狙撃されています(虎ノ門事件)。

 

先日安倍元首相が暗殺されましたが、当時摂政だった昭和天皇の狙撃には、ステッキに仕込んだ散弾銃が使われています。難を逃れた昭和天皇は「空砲だと思った」と述懐。犯人の難波大助(共産主義者)は、動機不明のまま死刑となっています。

 

安倍元首相を狙撃した山上徹也は統一教会云々と言っていますが、その動機の解明の為に裁判に時間をかけ、下手すると極刑回避となるやもしれません。暗殺という事実より、動機の解明や犯行時の精神状態を優先する司法の在り方には大いに疑問を感じます。

 

また、国葬を反対する人々の心情も図りかねます。税金の無駄遣いと言うなら、一連のコロナ騒動で使われている桁違いのお金について疑問を持たないのでしょうか。無料検査という名の税金の無駄遣い。無料接種という無駄遣い。さしたる影響もない風邪症状に大騒ぎしてマスクを肌身離さない人々。

 

まぁもう言ってもしょうがないのは分かっています。感染者の全数把握なんて海外ではとっくに止めてるのに日本は大騒ぎ。陽性反応者を全て感染者カウントして大騒ぎ。コロナきっかけや死後に陽性反応が出れば全部コロナ死扱い。果ては無症状の療養。普通に考えて、今は異常です。

 

 

多摩東陵。貞明皇后の墓地です。公爵家に生まれながら高円寺の豪農の家(大河原家)に里子に出され、裸足で野山を駆け回った貞明皇后は「九条の黒姫様」と呼ばれるほど逞しく育ちました。しかしそのせい(色黒=器量が悪い)もあって、成婚前には否定的な意見が多くありました。

 

最終的には「健康である(=丈夫な子を産む)」ということが他の妃候補を上回り、婚約となっています。黒姫(≠色白=容姿端麗ではない)と成婚した大正天皇は、他の女性に興味を持たぬよう、女性との接触を制限されています。また、大河原家にあった黒姫の幼少期の写真は、全て没収されています。

 

当たり前ですが、歴史上の出来事は当時の価値観によって決められています。それを今の尺度で比べても仕方ないのです。ましてや過去の出来事を今の価値観でいつまでも批判するなんて、これ以上野暮なことはありません。キャンセルカルチャー然り。戦後補償然りです。

 

次回は御陵の近くにある神社をお詣りします。それではまた!