【中央区】茶ノ木神社 | ぼっちあるき

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歩きながら考えてみた

人形町通り(水天宮通り)から路地に入って、茶ノ木神社を訪ねます。

 

 

下総佐倉城主で大老の堀田家中屋敷にあった屋敷神は、水天宮同様、普段は一般の参拝はできない神社でした。それを毎年初午(はつうま)の日(2月最初の午の日)に開放したことで、町人に親しまれ、周囲のお茶の緑が見事だったことから「お茶の木さま」と呼ばれるようになった神社です。

 

神社の周辺では火災が発生しなかったことから「火伏の神」としても崇められ、1985年には布袋尊が合祀されて、日本橋七福神の一つにもなっています。

 

今立っている場所の真下には日比谷線が走っており、金座通りへと向かう半蔵門線と交差して、人形町通りの下へと向かっていきます。金座通りには都営浅草線も走っており、この辺りは地下の大動脈にもなっています。

 

 

天愚孔平(荻野鳩谷)が始めた落書きがブームの発端とされる千社札は、寛政の世には禁令が出されるほど加熱しました。しかしその後もブームは収まらず、今日に至っています。この看板は、いわば「落書き禁止」と同意です。自分が訪れた証を刻むのは、当地ではなく手元の写真や動画に留めて欲しいものですね。

 

 

もうソーシャルディスタンスという言葉自体忘れ去られつつあります。その代わり、マスク着用率はほぼ100%ですから、特に問題はないでしょう。コンビニやスーパーのレジでも、距離を空ける人は少なくなりました。

 

弱毒化したウイルスの変異株の僅かな感染者数の増加で大騒ぎし、挙句なんの効果もない「まん防」を発令してしまう行政や、それを煽るマスコミの愚かさ(拝金主義)には、みんな気付いてますもんね。

 

 

人形町通りに戻ってきました。からくり時計の櫓が建っています。ちょうどこの辺りで、地下では半蔵門線と日比谷線が交差しています。江戸情緒の演出が、観光気分を盛り上げてくれます。

 

 

通りの向かいにもからくり時計の櫓があります。先程の櫓は江戸落語バージョンで、こちらは町火消バージョンです。櫓の中央に書かれている「は組」は、享保の改革で制度化された町火消の組織名です。

 

TikTokでリバイバルした「め組のひと」という曲のタイトルは、町火消がヒントになっていると思われます。歌詞にも、「いなせ」(本来は男性の髪型である鯔背)や「いき」(洗練された立居振舞や女性の色気)といった江戸の言葉が見受けられますよね。

 

 

町火消バージョンのからくり時計は、日比谷線の人形町駅の上に建っています。近くの交差点からは、浜町緑道で見た弁慶像のところまで甘酒通りが続いています。明治期にあった尾張屋という甘酒屋が通りの名の由来と言われていますが、今は甘味処の名所となっています。

 

次回も人形町の探索が続きます。それではまた!