【中央区】水天宮(3) | ぼっちあるき

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歩きながら考えてみた

水天宮に来ています。

 

 

手水舎の張り紙です。もう今さら過度な自粛についてコメントする気はないのです。この張り紙に目を引かれたのは、文字のバランスが素晴らしかったからです。PCで文書作成してプリントアウトしたものを掲示している神社がほとんどですが、こうして肉筆で、しかも達筆だと、神社の格が上がりますね。

 

 

「安産子育河童」と記されています。河童と水天宮との接点は不明ですが、水天宮の縁起で考えてみると、多少繋がりがあるようにも思えます。

 

壇ノ浦で滅んだ平家には、逃げ延びて各地に散らばったという落人の伝説があります。中でも、安徳天皇を抱いて海に身を投げたと吾妻鏡に記されている按察使局伊勢(あぜちのつぼねいせ)は、実は久留米(福岡県)に落ち延びて、その地で一族を弔うために祠を建て、それが後の水天宮であると言われています。

 

九州各地には他にも多数の落人が逃げ込んでいましたが、源氏の追手に次々と討たれてしまいます。その落人の霊魂が河童となって、源氏の世の中になってから悪事を働いたとも言われています。もしかしたらその霊魂を鎮めるために、河童が祀られたということはあったかもしれません。

 

 

河童についての仮説を考えてみましたが、「安産子育」河童なのは、水天宮のご利益にあやかっているのでしょう。像の足元には、可愛らしい子どもの河童が顔を覗かせています。全身を写した上の写真には、よく見ると他にも2匹の子どもがいますよ。

 

 

日本橋七福神の宝生弁財天。久留米藩主と加賀藩主が能楽の技能を競い合った際、祈願した久留米藩主が勝ちを収めたことから、能楽の流派である宝生の名が冠せられています。水天宮は有馬藩上屋敷にあったもので、現在の宮司も有馬家の末裔が務めています。

 

 

有馬藩邸にあった水天宮は、藩主の計らいで縁日には一般の参拝を認めていました。ある時、縁日に訪れた妊婦が鈴緒のお下がりを貰い受け、それを腹帯にしたところ無事安産できたというエピソードがあり、それが水天宮のご利益に繋がっています。

 

腹帯を巻くのは妊娠5ヶ月目の最初の戌の日なので、犬の像が置かれているのでしょう。犬は多産なのにお産が軽いので、安産の守り神とされています。

 

 

さて、水天宮を後にして、人形町界隈を歩いていきます。続きは次回に。それではまた!