【中央区】日本橋人形町 | ぼっちあるき

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歩きながら考えてみた

人形町通りを歩いています。

 

 

人形町通りを外れて、甘酒横丁から続く道を辿ります。交差点には日比谷線の人形町駅の入口があります。子どもの頃は、人形町とか小伝馬町という駅名が謎めいていて、とても興味を惹かれました。馬喰町(JR)や赤坂見附(丸の内線)もそうですね。「赤坂で何を見つけたんだろう」みたいな。「馬が喰らうってなんぞや」とかね。

 

 

少し歩くと、「谷崎純一郎生誕の地」と刻まれたレリーフに遭遇します。今はビルになっていて、2階にあるお洒落なしゃぶしゃぶ店に、その名が残されています。

 

谷崎の誕生日は、奇しくも交流のあった芥川龍之介の河童忌(7月24日)と同日です。芥川が自殺したのは昭和天皇が即位して間もない頃でしたが、彼の自殺を知った若者の後追い自殺が相次ぎました。昭和の初め頃から、マスコミによる有名人の自殺報道の影響(ウェルテル効果)は問題だったんですね。

 

谷崎は3度の結婚をし、昭和40年(1965)に79歳で生涯を終えています。最初の結婚では妻の妹に惹かれて妻とは不仲になり、さらには友人(佐藤春夫)と妻を巡って三角関係になっています。その後、妻は谷崎と離婚し、佐藤と再婚しています。

 

二度目の結婚の際には、予てから面識のあった根津松子の住まいの隣へ引っ越し、情事を重ねています。結果、またしても離婚することとなり、松子と三度目の結婚をしています。谷崎のイメージに女性関係が付き纏うのも、実生活を辿ると致し方ない印象を受けます。有り体に言えば、当時の文士はモテたということでしょうけどね。

 

 

谷崎生誕の地から、さらに歩を進めると、突然鯨のオブジェが現れます。「なんで鯨が?」という感じですが、この「鯨と海と人形町」というオブジェは、地名の由来となった人形浄瑠璃で使う操り人形に、鯨の髭が欠かせないことから作製されています。

 

 

これはもしかして、この穴から潮を吹く仕掛けになってるのだろうか。

 

 

鯨のいる交差点を直角に北西へ曲がると、区立日本橋小学校があります。どう見ても小学校(幼稚園併設)とは思えない、都会の小学校の象徴のような建物ですね。

 

実はこの場所には西郷隆盛の屋敷があり、征韓論を巡って明治政府を離れるまで西郷さんが住んでいました。西郷さんは下野して薩摩へ戻り、しばらくは農耕や狩猟等をして静かに暮らしていましたが、明治政府によって武士の特権を奪われた藩士達の行動に振り回され、西南戦争で自害しています。

 

 

冬休みで閉ざされた門の向こうに、全天候型のグラウンドが見えます。これはこれで仕方ないとは思うけど、やっぱり子ども達には土の上で遊んで欲しいかなぁ。このグラウンドじゃ、校庭の隅っこでダンゴムシを見つけたり、蟻の行列を観察したりできないもんね。

 

次回は日本の金融街へ向かいます。それではまた!